福袋考

2005年1月22日
2005年も三週間が過ぎ、そろそろお正月気分も抜けてきました。今年も元旦の夜から仕事をしていたのですが、それでもお正月らしくそこそこのんびりした気分を味わうことができました。

さて、正月名物といえばいろいろあるわけですが、最近僕が個人的に注目しているもの、それは福袋です。

誰しも一度は手を伸ばしたことがあるであろう、あの魅惑の福袋。実際、僕も子どものころお正月におもちゃ売り場で福袋を買うのが何より楽しみでした。あの袋に物がたくさん詰まっているお得感というか、わくわく感というか、ともかくあのプチギャンブル感がなんともいえず興奮する要素だったわけです。

その福袋、もちろん今でも正月初売り戦線の最重要アイテムであることに間違いないんだけど、ここ数年じょじょに売り上げが落ちてきているのだという。次第に中身の合計金額が表示されるようになり、商品名が挙げられるようになり、しまいには中身が見えるという掟破りの福袋が登場し、今年はなんと高級百貨店の三越までもがその流れに乗ってしまうという現象が起き、まさに福袋界は波乱、戦国、下克上的時代の様相を見せているわけです。

これを見ていて感じたんだけど、この現象はきっと日本人にとっての「福」という概念が変化したからではないかなと。この、買い物という行為に関して、今までともかく量、お得感を売りにすれば受け入れられていた感覚が今ではまるで通用しない。もうみんな物なんか充分に持っていて、いらない物が増えるくらいなら好きな物を一つずつ選んで買ったほうがいい。つまり、日本の国民にとって物の量的な価値観が質的な価値観を下回った瞬間だったのだと思う。

ちょっと前にも、これと同じように、確かに時代の流れの中で人の価値観の概念が見えた瞬間がありました。それは昔、確か京セラだったと思うんだけれど、相手の顔を見て話しができる携帯電話を開発して大々的に売り出した時でした。

新しいもの好きな僕は、このニュースを聞くとさっそく渋谷でやってる街頭キャンペーンにいって最新式の携帯電話をいじって大喜びしてきたわけです。「ああ、おもしろいなあ」なんて思って、この革新的携帯電話が果たしてどのぐらいの売り上げをあげるものか期待していたんだけど、いつまでたっても売り上げの話題は出てこない。そのうちに店頭でのキャンペーンもなくなり、パンフレットの写真も小さくなり、気がつけば売り場からすっかり姿を消してしまいました。

これは僕にとってけっこう衝撃的なことでした。さらにその後、最軽量をうりにした携帯電話の売り上げが伸びずに店頭から姿を消すという事態が起こったことにより僕の興奮はますます高まっていくわけです。

どういうことかというと、それまですべてが右肩上がり、なにをやっても話題になり、飛ぶように売れていた携帯電話に対して初めてユーザーがノーというリアクションを示した瞬間だったからです。

そもそも人間のコミュニケーションツールとして、文字が生まれ、手紙が発達し、その二つが大きな役割を果たした時代が長く続いてきたんだけれど、そこに科学の力によって革命的変化を与えたのがご存知、グラハム・ベルさんの開発した電話でした。

離れたところにいても人と会話ができる。この神秘の技術に人々は大歓迎の態度を示し、電話はあっという間に人々の生活になくてはならないものとして受け入れられていきました。その後、時を経て登場した携帯電話で移動しながらでも会話が可能になり、個人の動く範囲がすなわち会話の範囲として拡大し、これも大賞賛をもって受け入れられ、今や一人一台は当たり前のものとなりました。

さらに、メール機能、バッテリーの機能向上、軽量化とやることなすことすべてに惜しみない拍手が与えられてきた携帯電話。果てしなく利便化していくかに見えたこのツールですが「離れたところにいても人の顔を見ながら話ができる」「100グラムをきるほどの軽量化に成功」というところで、ユーザーは初めて拒否の反応を示したわけです。後者は単純に使いずらいっていうことだったと思うんだけど、前者に関しては人と人のコミュニケーションの概念にこの新要素を入れることに、みんなが疑問を持った瞬間だったのではないかと思います。離れたところで、自分の移動してるところで、相手の肉声が聞こえて、、、顔が見えて、、、いや、それはなんか違わないか?って。

この福袋と携帯電話の話はちょっと性格が違うかもしれないけど、どちらも人が流されがちな「便利」とか「裕福」とかっていういわゆる「欲望」の概念に人が自ら線を引いた瞬間だったと思うわけです。これ、僕は個人的にちょっとおもしろかったというか嬉しかったというか。なんか、やっぱり人間には人間としての本能がちゃんとあって、いくら外界から人工的な快楽や豊かさを注入しようとしても、そこには限界ラインがあって、許容量以上のものにはちゃんと拒否反応が出るんだなあって。

かくゆう僕もさっき言ったように新しい電子機器とか大好きだし、デザインや技術なんかが向上していくことに対してはまったく異論はありません。ただ、その中でも人間らしさというか、人間だけが持っている生っぽさ、熱っぽさといったものを大切にしていきたいし、本当の楽しさや嬉しさっていうのは結局そこにしかないような気がしています。あくまで、ツールはツールであって、それがいつの間にかそれ自身に食われてしまうような、そんなことにならないように気をつけいきたいななんて、そんなことを思っています。

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