エビがいぃ??カニがいぃ??♪
2005年4月5日来週ヤキソバにしよぅと思ぅんだけどぉ。。具はエビとカニどっちがいぃぃ??♪あやはぁカニがいぃ!?☆
…春の陽気と花粉症の猛威についに佐藤もおかしくなったか。と思われた方もいるかもしれませんが、ご心配なく。今日も佐藤は頑張って生きております。じゃあ一体このご機嫌なタイトルと書き出しは何かというと、これは僕が打ったのではなくて、僕のパソコンに先月送られてきた迷惑メールの一つです。毎日、まあいったいどこから調べてくるんだろうと感心してしまうほど新手の迷惑メールが送られてくるんだけど、最近のは誤送信を装って返信させようという類のメールが登場しましたね。(返信したらいったいどんな反応があるんだろうか…)基本的にメールチェックする時に不必要なものは真っ先にどんどん消してしまうのですが、なんか妙に友達口調だったり、あまりにあほらしいものもあるのでついつい目に留まってしまいます。まあ、相手の作戦に負けてるのかもしれませんが、このメールも、件名の段階でアホさ加減にやられてつい見てしまいました。
ちなみにこのメール、送られてきたのは火曜日なんだけど、ヤキソバなんてそんな一週間も前から準備してつくるもんなんだろうか?むしろ、何も考えてない土曜日の昼なんかに「今日はヤキソバでいっかな…」くらいの勢いで作ることのほうが多いんじゃないだろうか。この時点で、このあやという女のハッピーな性格が見え隠れしてきますね。すでにいい感じです。
そして、タイトルにもなっている部分です。さもいつものお決まりみたいな雰囲気で具はエビがいいかカニがいいかと尋ねていますが、残念なことに俺はいまだかつてヤキソバの具としてエビもカニも用いたことはありません。つーか普通にヤキソバ作るのにカニって入れるもんなのかな?まあ、一般常識はともかく、あやが星マークまで付けてカニがいいと言うなら、俺もいいと思います、カニで。
そんなわけでたった二行で実に愉快な性格の女の子だということがわかるメールなわけで、俺も「俺もカニがいいかな」と返事を打とう思ったとか思わなかったとか知りませんが、最後まで読んで衝撃的なことに気づかされてしまいます。そう、僕には「あや」という名前の友達はいません。ついでに文末に必ず句読点や記号を重ね付けしてメールを打ってくる友人もいません。大変残念ではありますが、見知らぬ女の子と一週間後に向けて気合い入れてカニヤキソバを作って食うというのは、まあ楽しそうといえば楽しそうですが、そんなことをやる暇も筋合いもないので、謹んで無視させていただきました。
ちなみに、ヤキソバの具の相談するぐらい親しいんだったら、むしろパソコンのメールじゃなくて携帯電話のメールに送ったほうがいいんじゃないんだろうか。パソコンチェックしないで、何日か後に見る可能性だってありえるわけだしさ。いや、もしかしたらあやはそれを想定した上でわざわざ一週間も前の火曜日にメールを打ったのかもしれないですね。ヤキソバというフランクな食事の予定にも充分余裕を持って、確実な実行をねらうという。う〜ん、このあやという女の子、あんな文章打つ割になかなか計画的な人物なのかもしれないですね。それとも、こういった小さな配慮から人間関係は進んでいくんでしょうか。いや、実に奥が深い。あやという女の子からの間違いメールで実に勉強になりました。よかったよかった。
ってやっぱおかしいですよ。ぜったい(笑)
…春の陽気と花粉症の猛威についに佐藤もおかしくなったか。と思われた方もいるかもしれませんが、ご心配なく。今日も佐藤は頑張って生きております。じゃあ一体このご機嫌なタイトルと書き出しは何かというと、これは僕が打ったのではなくて、僕のパソコンに先月送られてきた迷惑メールの一つです。毎日、まあいったいどこから調べてくるんだろうと感心してしまうほど新手の迷惑メールが送られてくるんだけど、最近のは誤送信を装って返信させようという類のメールが登場しましたね。(返信したらいったいどんな反応があるんだろうか…)基本的にメールチェックする時に不必要なものは真っ先にどんどん消してしまうのですが、なんか妙に友達口調だったり、あまりにあほらしいものもあるのでついつい目に留まってしまいます。まあ、相手の作戦に負けてるのかもしれませんが、このメールも、件名の段階でアホさ加減にやられてつい見てしまいました。
ちなみにこのメール、送られてきたのは火曜日なんだけど、ヤキソバなんてそんな一週間も前から準備してつくるもんなんだろうか?むしろ、何も考えてない土曜日の昼なんかに「今日はヤキソバでいっかな…」くらいの勢いで作ることのほうが多いんじゃないだろうか。この時点で、このあやという女のハッピーな性格が見え隠れしてきますね。すでにいい感じです。
そして、タイトルにもなっている部分です。さもいつものお決まりみたいな雰囲気で具はエビがいいかカニがいいかと尋ねていますが、残念なことに俺はいまだかつてヤキソバの具としてエビもカニも用いたことはありません。つーか普通にヤキソバ作るのにカニって入れるもんなのかな?まあ、一般常識はともかく、あやが星マークまで付けてカニがいいと言うなら、俺もいいと思います、カニで。
そんなわけでたった二行で実に愉快な性格の女の子だということがわかるメールなわけで、俺も「俺もカニがいいかな」と返事を打とう思ったとか思わなかったとか知りませんが、最後まで読んで衝撃的なことに気づかされてしまいます。そう、僕には「あや」という名前の友達はいません。ついでに文末に必ず句読点や記号を重ね付けしてメールを打ってくる友人もいません。大変残念ではありますが、見知らぬ女の子と一週間後に向けて気合い入れてカニヤキソバを作って食うというのは、まあ楽しそうといえば楽しそうですが、そんなことをやる暇も筋合いもないので、謹んで無視させていただきました。
ちなみに、ヤキソバの具の相談するぐらい親しいんだったら、むしろパソコンのメールじゃなくて携帯電話のメールに送ったほうがいいんじゃないんだろうか。パソコンチェックしないで、何日か後に見る可能性だってありえるわけだしさ。いや、もしかしたらあやはそれを想定した上でわざわざ一週間も前の火曜日にメールを打ったのかもしれないですね。ヤキソバというフランクな食事の予定にも充分余裕を持って、確実な実行をねらうという。う〜ん、このあやという女の子、あんな文章打つ割になかなか計画的な人物なのかもしれないですね。それとも、こういった小さな配慮から人間関係は進んでいくんでしょうか。いや、実に奥が深い。あやという女の子からの間違いメールで実に勉強になりました。よかったよかった。
ってやっぱおかしいですよ。ぜったい(笑)
習慣の恐ろしさ
2005年4月1日最近、ふと考えてみたら僕の書く日記の分量が明らかに日を追うごとに多くなっています。正確には、日記に関しては書く分量を(これでも)意識的にセーブしているので長文を書くのが苦にならなくなったというのが正解でしょうか。
文章を書くことへの抵抗は前から無いほうだと思っていたんだけど、最近は何か書かないとむしろむずむずしてくる、という我ながら若干病的傾向の匂いが発する体になっています。僕はこの日記以外にも不定期ながら小金井みらいさんのホームページで公開講座の原稿を書かせてもらっていて、その他にも大学関係のレポートや、研究に関する記録、個人的趣味で書いている文章もあったりして全部合わせると相当の分量を書いてるんじゃないかということに気がつきました。
でも、これは明らかにこのサイトで日記を公開で書き始めてからのことで、以前大学の授業で5枚のレポート提出の課題なんかでようものなら相当げんなりしていたことを考えると明らかに「書く」ということが習慣化して、内容の密度はともかく少なくとも抵抗がなくなったということは確実にいえることだと思います。
人間の体というのは本当に頭がいいんだか悪いんだか分からない不思議なもので、例えば毎日だらだら生活している大学生でも、教育実習なんかで毎朝きちんと6時に起きる生活を求められれば、ものの1週間で完全に適応する。のくせに1ヵ月後、目覚ましをかけなくても6時に起きる体になったとばかり思っていたのが、ものの1週間でやっぱり10時起きの生活に戻ってしまう、みたいな感じで、ともかくふとした瞬間に人間の環境に対する適応力、習慣の偉大さ恐ろしさを感じたりします。
これはランニングでもいえることで、続けるにはとにかく一定の期間連続して行なうことが重要です。1週間に3日走るのと、1ヶ月に3日走るのでは絶対に前者のほうが簡単です。これは確信を持って言うことができますね。逆に言えば、1ヶ月に3日でも走れる人は、継続して1週間に3日走れる可能性のある人だということができると思います。
これは応用すれば日記にも言えることで、僕の日記はご丁寧なことに、書いた日が脇に載っているカレンダー表示されるシステムなのですが、明らかに飛び飛びになっている所と、連続して書かれている所とに分かれています。つまりはそういうことです。体を環境に慣れさせるために、いかにして最初頑張るか、また一度作った習慣をいかに継続させていくか。似てるようで違う体力を使う作業な気がするのですが、これが続けて物事に取り組むコツなんでしょうね。
例えば、日雇いのバイトなんかでぱっと見すごく日当がよくても、いざ実際にやってみたら普通にバイトするよりよっぽど疲れて、なんか割に合わなかったなんていう経験をしたことがないだろうか。これっていうのも、いわゆる慣れない場所で慣れない作業をすることによって体に負荷がかかってしまうということなんですよね。僕も今までに何度か「あっ、これ時給いい。しかも仕事楽そう」なんていって日雇いの仕事に手を出しましたが、どれもこれも「いつものバイト増やせばよかった…」みたいな疲れ方をして二度とやるもんかなんて帰り道で呟いて友人に携帯電話で愚痴りながら悲しく家路につくみたいな顛末でした。(それを喉もと過ぎればで繰り返すところが僕のアホなところなんですが)
ただ、この習慣というやつも、じゃあ、ある程度定着したらもう大丈夫かというとそうではなくて、いつか必ず波がくる。むしろ、悪い調子の波が来てしまってさらにそれが習慣化して定着してしまうことだって充分ありえることで、その辺が人間の難しさですね。
とある写真家の言葉に「たまに出てきてホームランを飛ばすのがアマチュア、一年を通して三割を打てるのがプロ」というのがありますが、つまりはどんなものでも一年を通して一定のテンションを保つというのがいかに難しいというかですよね。習慣という魔物も、いい習慣・悪い習慣と交互に襲って来たりするわけでセルフコントロールの道は奥が深いです。
いい習慣を継続して行なっていくためにはいわゆる気力の充実が大切なのでしょうが、それも私生活や食生活、睡眠時間の確保などが絡んできて、なかなか上手くはいきません。でも少なくとも仕事をする(プロになる)っていうのはそういうことなんでしょうね。大学院生の僕は言ってみれば勉強のプロを目指す卵みたいなものです。普通の社会人に比べて時間はありますが、やらなければ自分の首が絞まっていくだけなので束縛や形を自分で作るところからセルフコントロールは始まっています。僕も定期的に大学に行ったり、勉強会に行ったりして、いい波の習慣をつくるべく学生生活20年目にして相も変わらず試行錯誤の日々です。
いよいよ4月。学生生活もいよいよ残り1年を切りました。文章力向上のためにも(少なくとも量は稼げるようになるかなと)継続して日記を付けられるように頑張ってみようかな。体のリズムを味方につけて今シーズンもいい年になりますようにぎゃんばっていきたいと思います。
文章を書くことへの抵抗は前から無いほうだと思っていたんだけど、最近は何か書かないとむしろむずむずしてくる、という我ながら若干病的傾向の匂いが発する体になっています。僕はこの日記以外にも不定期ながら小金井みらいさんのホームページで公開講座の原稿を書かせてもらっていて、その他にも大学関係のレポートや、研究に関する記録、個人的趣味で書いている文章もあったりして全部合わせると相当の分量を書いてるんじゃないかということに気がつきました。
でも、これは明らかにこのサイトで日記を公開で書き始めてからのことで、以前大学の授業で5枚のレポート提出の課題なんかでようものなら相当げんなりしていたことを考えると明らかに「書く」ということが習慣化して、内容の密度はともかく少なくとも抵抗がなくなったということは確実にいえることだと思います。
人間の体というのは本当に頭がいいんだか悪いんだか分からない不思議なもので、例えば毎日だらだら生活している大学生でも、教育実習なんかで毎朝きちんと6時に起きる生活を求められれば、ものの1週間で完全に適応する。のくせに1ヵ月後、目覚ましをかけなくても6時に起きる体になったとばかり思っていたのが、ものの1週間でやっぱり10時起きの生活に戻ってしまう、みたいな感じで、ともかくふとした瞬間に人間の環境に対する適応力、習慣の偉大さ恐ろしさを感じたりします。
これはランニングでもいえることで、続けるにはとにかく一定の期間連続して行なうことが重要です。1週間に3日走るのと、1ヶ月に3日走るのでは絶対に前者のほうが簡単です。これは確信を持って言うことができますね。逆に言えば、1ヶ月に3日でも走れる人は、継続して1週間に3日走れる可能性のある人だということができると思います。
これは応用すれば日記にも言えることで、僕の日記はご丁寧なことに、書いた日が脇に載っているカレンダー表示されるシステムなのですが、明らかに飛び飛びになっている所と、連続して書かれている所とに分かれています。つまりはそういうことです。体を環境に慣れさせるために、いかにして最初頑張るか、また一度作った習慣をいかに継続させていくか。似てるようで違う体力を使う作業な気がするのですが、これが続けて物事に取り組むコツなんでしょうね。
例えば、日雇いのバイトなんかでぱっと見すごく日当がよくても、いざ実際にやってみたら普通にバイトするよりよっぽど疲れて、なんか割に合わなかったなんていう経験をしたことがないだろうか。これっていうのも、いわゆる慣れない場所で慣れない作業をすることによって体に負荷がかかってしまうということなんですよね。僕も今までに何度か「あっ、これ時給いい。しかも仕事楽そう」なんていって日雇いの仕事に手を出しましたが、どれもこれも「いつものバイト増やせばよかった…」みたいな疲れ方をして二度とやるもんかなんて帰り道で呟いて友人に携帯電話で愚痴りながら悲しく家路につくみたいな顛末でした。(それを喉もと過ぎればで繰り返すところが僕のアホなところなんですが)
ただ、この習慣というやつも、じゃあ、ある程度定着したらもう大丈夫かというとそうではなくて、いつか必ず波がくる。むしろ、悪い調子の波が来てしまってさらにそれが習慣化して定着してしまうことだって充分ありえることで、その辺が人間の難しさですね。
とある写真家の言葉に「たまに出てきてホームランを飛ばすのがアマチュア、一年を通して三割を打てるのがプロ」というのがありますが、つまりはどんなものでも一年を通して一定のテンションを保つというのがいかに難しいというかですよね。習慣という魔物も、いい習慣・悪い習慣と交互に襲って来たりするわけでセルフコントロールの道は奥が深いです。
いい習慣を継続して行なっていくためにはいわゆる気力の充実が大切なのでしょうが、それも私生活や食生活、睡眠時間の確保などが絡んできて、なかなか上手くはいきません。でも少なくとも仕事をする(プロになる)っていうのはそういうことなんでしょうね。大学院生の僕は言ってみれば勉強のプロを目指す卵みたいなものです。普通の社会人に比べて時間はありますが、やらなければ自分の首が絞まっていくだけなので束縛や形を自分で作るところからセルフコントロールは始まっています。僕も定期的に大学に行ったり、勉強会に行ったりして、いい波の習慣をつくるべく学生生活20年目にして相も変わらず試行錯誤の日々です。
いよいよ4月。学生生活もいよいよ残り1年を切りました。文章力向上のためにも(少なくとも量は稼げるようになるかなと)継続して日記を付けられるように頑張ってみようかな。体のリズムを味方につけて今シーズンもいい年になりますようにぎゃんばっていきたいと思います。
春若丸
2005年3月31日一ヶ月ほど前、自宅に一通の手紙が届いて、中には芝居のチラシが同封されていました。そのチラシにはこう書いてあります。「幻の名作、本邦初演!お伽芝居、春若丸(はるわかまる)」
さて、ここまで読んで「マジかあ!?」と歓喜、あるいは驚嘆する人はどのくらいいるもんでしょうか。おそらくこの日記を目にした人のなかで1人でもいればかなりの偶然でしょう。(つーか、本当に驚いた人がいたら連絡してください。お茶でも飲みながら今度ゆっくりお話しましょう。)そういう僕も1年前にこの手紙を受け取ったら、ふ〜ん…って感じで受け流して捨てていたでしょう。ところが今の僕にとってはこのニュースは一大事件だったわけで、前売り券まで押さえて先日いそいそと観にいってきました。
久しぶりに、というかこの日記ではむしろ初めてこの手の話しに触れる気がするんですが、僕は今大学院で演劇教育というものについて勉強していて、同時に演劇、あるいは児童演劇の歴史についても勉強をしています。ちょっとマニアックな話になりますが、この「春若丸」という作品は近代日本初の児童劇、つまり子どもにお芝居を見せるために初めて書かれた脚本で、日本児童文学史上かなりの重要脚本なわけです。
しかし、この脚本のすごいところは日本で初めて書かれたということだけではないんです。なんと、子ども向け脚本として日本で最初に書かれて、児童文学史について書かれたどの本にも登場する超メジャーな脚本のくせに、今の今まで上演されたことが一度もない。しかも、この脚本が書かれたのが明治36年、つまり1903年なので、ありえんことに百年以上の間お蔵入りしていて、名前だけが燦然と輝き続けていたという実によく分からない脚本なのです。
そんな「春若丸」ですが、なんでも上演されなかった理由は単純明快で「長すぎる」ということだったらしく、だったらなんで短くしてやろうとしなかったのか、あるいはできなかったのか、というのは永遠の謎として(あるいはその道の専門家に調べていただいて)結局その後、時期を逃したこの脚本は上演されることなく百年もの間眠り続けた訳です。それが今回、百周年ということを意識してなのかどうかわからないのですが、東京都のバックアップを付けた日本児童・青少年演劇劇団協同組合の主催で上演の運びになったということです。
こんなこともあるんだなあ、と思いつつ劇場に足を運ぶと年齢層の高さにびっくりしました。お伽芝居(子ども向け演劇)と銘打ってるくせに明らかに来ているのはコアな演劇ファンと思われる人ばっかり。なかには子ども連れで来ている人もいたんですが、いざ始まってみると多少は現代風にアレンジしているとはいえ、なんせ百年前の脚本なので言葉遣いが基本的に古い。おまけに今の音楽やダンスを見て育っている平成のキッズたちは、今様(いまよう)や田楽(でんがく)を堪能できるはずがなく、通路を走ったり、足をばたつかせたりして母親に叱られては不満そうな顔をしていました。
もちろん、東京都の助成を受けての公演なので記念公演、あるいは幻の芸術作品の再現といった意味合いの強いことは間違いなかったと思うんですが、僕は個人的にこの舞台をかなり興味深く見ることができました。
舞台に登場するキャラクターやストーリーの端々から、明治に生きた作者が「日本でも子ども向けの作品を作ろう!」と腐心したあとが伺えました。主人公を対象年齢向けに7歳に設定したり、牛や馬や狐や蝶々といった子どもがとっつきやすそうなキャラクターを効果的に登場させたり、また最後にはしっかり勧善懲悪的オチをつけるところなどには、時代背景が見えるような気がしました。笑ってしまうほどあからさまな部分もあったけど、作者の子ども向け脚本に対する熱意が伝わってくるようでした。原作は当時「少年世界」という雑誌に151ページに渡って発表されたそうですが、これも熱意のあまりこんな分量になってしまったのかもしれないですね。
現代の作品、これは文学でも、絵でも、音楽でもそうなんですが、傾向として感情の垂れ流しみたいな作品が多いような気がしています。僕が言うのも偉そうですが、感情をぶちまけるだけぶちまけておいてあとの責任に対して何の意識もないものが多いというか。悪い意味で、芯の通っていない自分勝手な作品が多いと思います。それを芸術と認める(あるいはいかにもそれらしく宣伝してしまう)メディア、安易に受け取ってしまうユーザーにも問題はあると思いますが、誰もが発信者となれる現代において、これはけっこうあからさまな問題な気がするんですよね。
世に対して何かを発信する行為には少なからず責任が問われるような気がします。もちろん、芸術というのは基本的に誤読の自由を与えられてしかるべきだと思うんですが、少なくとも自分の主義や主張というものははっきりとした上で発信されるべきではないかと考えます。
…なんて小難しいことを考えたりもするんですが、それはともかくこの「春若丸」にはそんな作者の情熱があふれていて、なんかジーンときたというか。感動できる内容でした。場面の暗転シーンが多いなど、舞台化が難しかった理由もちらほら見え隠れしてましたがストーリーも素直に楽しめる作品で本当に楽しかったです。子ども向けでなく、大人を対象としたものでも、こんな風に情熱的で優しい作品が増えればいいなと思いました。いい一日でした。
ちなみにこの作者は巌谷小波(いわやさざなみ)という人で、児童文学史や演劇史の本でよく見るなと思ってたんだけど、実は小学校で誰もが歌う「あたまを雲の上に出し〜♪」でおなじみ「富士の山」の作詞者だったり、「巌谷小波文芸賞」なんてものもあって、僕の生まれた昭和54年には手塚治虫がその業績に対して受賞しているなど、日本文芸界でかなりメジャーな人でした。勉強すればするほど自分の無知や無力に気がつきます。日々勉強ですね。まだまだ知らない名作が山ほどあると思うとわくわくします。プレイヤー以前に、よきユーザーとして今シーズンも大いに楽しんでいきたいと思います。
さて、ここまで読んで「マジかあ!?」と歓喜、あるいは驚嘆する人はどのくらいいるもんでしょうか。おそらくこの日記を目にした人のなかで1人でもいればかなりの偶然でしょう。(つーか、本当に驚いた人がいたら連絡してください。お茶でも飲みながら今度ゆっくりお話しましょう。)そういう僕も1年前にこの手紙を受け取ったら、ふ〜ん…って感じで受け流して捨てていたでしょう。ところが今の僕にとってはこのニュースは一大事件だったわけで、前売り券まで押さえて先日いそいそと観にいってきました。
久しぶりに、というかこの日記ではむしろ初めてこの手の話しに触れる気がするんですが、僕は今大学院で演劇教育というものについて勉強していて、同時に演劇、あるいは児童演劇の歴史についても勉強をしています。ちょっとマニアックな話になりますが、この「春若丸」という作品は近代日本初の児童劇、つまり子どもにお芝居を見せるために初めて書かれた脚本で、日本児童文学史上かなりの重要脚本なわけです。
しかし、この脚本のすごいところは日本で初めて書かれたということだけではないんです。なんと、子ども向け脚本として日本で最初に書かれて、児童文学史について書かれたどの本にも登場する超メジャーな脚本のくせに、今の今まで上演されたことが一度もない。しかも、この脚本が書かれたのが明治36年、つまり1903年なので、ありえんことに百年以上の間お蔵入りしていて、名前だけが燦然と輝き続けていたという実によく分からない脚本なのです。
そんな「春若丸」ですが、なんでも上演されなかった理由は単純明快で「長すぎる」ということだったらしく、だったらなんで短くしてやろうとしなかったのか、あるいはできなかったのか、というのは永遠の謎として(あるいはその道の専門家に調べていただいて)結局その後、時期を逃したこの脚本は上演されることなく百年もの間眠り続けた訳です。それが今回、百周年ということを意識してなのかどうかわからないのですが、東京都のバックアップを付けた日本児童・青少年演劇劇団協同組合の主催で上演の運びになったということです。
こんなこともあるんだなあ、と思いつつ劇場に足を運ぶと年齢層の高さにびっくりしました。お伽芝居(子ども向け演劇)と銘打ってるくせに明らかに来ているのはコアな演劇ファンと思われる人ばっかり。なかには子ども連れで来ている人もいたんですが、いざ始まってみると多少は現代風にアレンジしているとはいえ、なんせ百年前の脚本なので言葉遣いが基本的に古い。おまけに今の音楽やダンスを見て育っている平成のキッズたちは、今様(いまよう)や田楽(でんがく)を堪能できるはずがなく、通路を走ったり、足をばたつかせたりして母親に叱られては不満そうな顔をしていました。
もちろん、東京都の助成を受けての公演なので記念公演、あるいは幻の芸術作品の再現といった意味合いの強いことは間違いなかったと思うんですが、僕は個人的にこの舞台をかなり興味深く見ることができました。
舞台に登場するキャラクターやストーリーの端々から、明治に生きた作者が「日本でも子ども向けの作品を作ろう!」と腐心したあとが伺えました。主人公を対象年齢向けに7歳に設定したり、牛や馬や狐や蝶々といった子どもがとっつきやすそうなキャラクターを効果的に登場させたり、また最後にはしっかり勧善懲悪的オチをつけるところなどには、時代背景が見えるような気がしました。笑ってしまうほどあからさまな部分もあったけど、作者の子ども向け脚本に対する熱意が伝わってくるようでした。原作は当時「少年世界」という雑誌に151ページに渡って発表されたそうですが、これも熱意のあまりこんな分量になってしまったのかもしれないですね。
現代の作品、これは文学でも、絵でも、音楽でもそうなんですが、傾向として感情の垂れ流しみたいな作品が多いような気がしています。僕が言うのも偉そうですが、感情をぶちまけるだけぶちまけておいてあとの責任に対して何の意識もないものが多いというか。悪い意味で、芯の通っていない自分勝手な作品が多いと思います。それを芸術と認める(あるいはいかにもそれらしく宣伝してしまう)メディア、安易に受け取ってしまうユーザーにも問題はあると思いますが、誰もが発信者となれる現代において、これはけっこうあからさまな問題な気がするんですよね。
世に対して何かを発信する行為には少なからず責任が問われるような気がします。もちろん、芸術というのは基本的に誤読の自由を与えられてしかるべきだと思うんですが、少なくとも自分の主義や主張というものははっきりとした上で発信されるべきではないかと考えます。
…なんて小難しいことを考えたりもするんですが、それはともかくこの「春若丸」にはそんな作者の情熱があふれていて、なんかジーンときたというか。感動できる内容でした。場面の暗転シーンが多いなど、舞台化が難しかった理由もちらほら見え隠れしてましたがストーリーも素直に楽しめる作品で本当に楽しかったです。子ども向けでなく、大人を対象としたものでも、こんな風に情熱的で優しい作品が増えればいいなと思いました。いい一日でした。
ちなみにこの作者は巌谷小波(いわやさざなみ)という人で、児童文学史や演劇史の本でよく見るなと思ってたんだけど、実は小学校で誰もが歌う「あたまを雲の上に出し〜♪」でおなじみ「富士の山」の作詞者だったり、「巌谷小波文芸賞」なんてものもあって、僕の生まれた昭和54年には手塚治虫がその業績に対して受賞しているなど、日本文芸界でかなりメジャーな人でした。勉強すればするほど自分の無知や無力に気がつきます。日々勉強ですね。まだまだ知らない名作が山ほどあると思うとわくわくします。プレイヤー以前に、よきユーザーとして今シーズンも大いに楽しんでいきたいと思います。
僕とランニング
2005年3月30日昨日も走ったと書きましたが、この日記にもちょぼちょぼ登場するランニングはひそかに僕の趣味だったりします。
僕の家の近くには遊水地を兼ねた公園があるのですが、外周がランニングコースになっていて1周約760メートルあります。それをだいたい1回に5周、調子のいいときは6、7周するので、毎回だいたい4〜5キロくらい走っています。
実はこのランニング、始めたのが高校一年の時なので今年の4月で丸10年になるんですよ。最近この事に気がついてびっくりしました。10年…なんか信じられないような気がするんですが数えてみたら間違いないので我ながらよくやったもんだなと感心したりしています。
10年とはいえもちろん毎日やっているわけではなくて、多いときは週に5日くらい走りますがたいてい週2、3回。最近は1週間走らないとずいぶん走ってない気になるんだけど、以前は1、2ヶ月走らないなんてのもざらでした。
の、わりになぜかやめることなく走り続けてついに大台の丸10年です。3年前にシューズとジャージを新調して以来走るペースが格段にあがって今では走らないと気持ちが悪いくらいになってしまいました。そもそもなんで始めたのか、またなんでこんなに続いたのかについては色々とあるんですが、ただでさえ長い日記がさらに長くなるのでまた違う日に改めて書こうと思います。ともあれ節目を迎えるにあたってちょっと色々考えるところがありました。
思い返して見れば、毎年4月の桜の季節にするランニングがすごく好きでした。夜、真っ暗な道を走っていると、ふと花の香りがしてきて、見上げると沿道に満開の桜があったりして、なんとも風流なお話しですが、そんな風に春の訪れを感じたりします。
遊水地公園の外周にも桜が植えられていてあと1、2週間もすれば満開になります。こぼれ落ちる桜を踏み分けて走りながら「ああ、今年もがんばるぞ」なんていつも思います。正月の新しさも大好きですが、4月の持つ新しさも大好きです。小沢健二風に言えば、物語のはじまりにはちょうどいい季節って感じです。(わからないか…)
ともあれもうすぐ4月。今年はせっかくの10年を記念して一つ形あるものを、ということでフルマラソン出場をもくろんでいます。どの大会に出ようか目下検討中。体育会系ロッカー目指して今年も佐藤の挑戦は続きます。
僕の家の近くには遊水地を兼ねた公園があるのですが、外周がランニングコースになっていて1周約760メートルあります。それをだいたい1回に5周、調子のいいときは6、7周するので、毎回だいたい4〜5キロくらい走っています。
実はこのランニング、始めたのが高校一年の時なので今年の4月で丸10年になるんですよ。最近この事に気がついてびっくりしました。10年…なんか信じられないような気がするんですが数えてみたら間違いないので我ながらよくやったもんだなと感心したりしています。
10年とはいえもちろん毎日やっているわけではなくて、多いときは週に5日くらい走りますがたいてい週2、3回。最近は1週間走らないとずいぶん走ってない気になるんだけど、以前は1、2ヶ月走らないなんてのもざらでした。
の、わりになぜかやめることなく走り続けてついに大台の丸10年です。3年前にシューズとジャージを新調して以来走るペースが格段にあがって今では走らないと気持ちが悪いくらいになってしまいました。そもそもなんで始めたのか、またなんでこんなに続いたのかについては色々とあるんですが、ただでさえ長い日記がさらに長くなるのでまた違う日に改めて書こうと思います。ともあれ節目を迎えるにあたってちょっと色々考えるところがありました。
思い返して見れば、毎年4月の桜の季節にするランニングがすごく好きでした。夜、真っ暗な道を走っていると、ふと花の香りがしてきて、見上げると沿道に満開の桜があったりして、なんとも風流なお話しですが、そんな風に春の訪れを感じたりします。
遊水地公園の外周にも桜が植えられていてあと1、2週間もすれば満開になります。こぼれ落ちる桜を踏み分けて走りながら「ああ、今年もがんばるぞ」なんていつも思います。正月の新しさも大好きですが、4月の持つ新しさも大好きです。小沢健二風に言えば、物語のはじまりにはちょうどいい季節って感じです。(わからないか…)
ともあれもうすぐ4月。今年はせっかくの10年を記念して一つ形あるものを、ということでフルマラソン出場をもくろんでいます。どの大会に出ようか目下検討中。体育会系ロッカー目指して今年も佐藤の挑戦は続きます。
劇団ミラーダ
2005年3月29日第1回公演が無事終了しました。掲示板にも書きましたが、ご来場いただいたみなさん、応援していただいたみなさんには本当に感謝感謝です。ありがとうございました。
劇団ミラーダは僕を含めた4人組で、平均年齢は40後半です。の割に30代、40代がいないという年齢差の激しい集団なのですが、稽古のときから本当に毎回毎回楽しくてとても充実した時間を過ごすことができました。
今回の公演は王子の「pit北/区域」という、とても雰囲気のいい小劇場で行なったのですが、実は当初の予定では、どこかの喫茶店か公民館の一室に幕でも張ってひっそりやろうかくらいに考えていました。それが本格的な会場で、しかもプロの方に照明と音響をやっていただき予想をはるかに上回る公演を行なうことができました。
リハーサルが終わった時に、主宰の田邊先生とも話したのですが、今回つくづく雰囲気作りの意味の大きさを感じました。僕も何度か朗読を見たことがあるのですが、だいたい素の舞台に何人かが出てきて、数本のマイクに向かって朗読を行なうものでした。もちろん、音響もなし。照明も客電がつきっぱなしで最初から最後まで行なわれ、ミラーダも今回はそんな感じで行う予定でした。
でも、どんなに演者がいいパフォーマンスをしても朗読というのはそれだけでお客さんを満足させるのはなかなか難しく、どうしても飽きがきてしまう、あるいはなかなか心に残る舞台にしづらい傾向があると思います。
今回は本当にひょんなことからこういう形になったんだけど、もちろん反省や次回以降への課題もたくさんありましたが、当初の構想とはかなりイメージの違った舞台になったと思います。「全体の雰囲気がよかった」という感想を何人からかいただくことができたのですが、いくらいい演奏、いい台本、いい朗読を行なったとしても、会場が普通の会館の一室だったら、客電がつきっぱなしだったら、音響が素のままだったら、間違いなくお客さんの印象は違うものになったと思います。
今回は演出の持つ力の大きさを感じた舞台でした。もちろん、お客さんに対するイメージだけではなくて、役者側のテンションも変わってきますしね。その分、手間もお金もかかるわけですが、舞台表現に関わるものとして今回はいい勉強になりました。そして楽しかったです。本当にいい一日にすることができました。
演出について長々書きましたが、もちろん基本は演じ手の実力です。今回は1時間半喋りっぱなしという今までにない体験をしたわけですが、アクターとしての体作りの重要性を感じた舞台でもありました。そんな訳で今日も4キロほど走ってストレッチして就寝です。なんとか時間を有効に使ってランニングとストレッチの時間を作るのが今シーズンの僕の課題です。頑張るぞ〜!脱いでもすごいアクター目指してこれからも日々精進です!
劇団ミラーダは僕を含めた4人組で、平均年齢は40後半です。の割に30代、40代がいないという年齢差の激しい集団なのですが、稽古のときから本当に毎回毎回楽しくてとても充実した時間を過ごすことができました。
今回の公演は王子の「pit北/区域」という、とても雰囲気のいい小劇場で行なったのですが、実は当初の予定では、どこかの喫茶店か公民館の一室に幕でも張ってひっそりやろうかくらいに考えていました。それが本格的な会場で、しかもプロの方に照明と音響をやっていただき予想をはるかに上回る公演を行なうことができました。
リハーサルが終わった時に、主宰の田邊先生とも話したのですが、今回つくづく雰囲気作りの意味の大きさを感じました。僕も何度か朗読を見たことがあるのですが、だいたい素の舞台に何人かが出てきて、数本のマイクに向かって朗読を行なうものでした。もちろん、音響もなし。照明も客電がつきっぱなしで最初から最後まで行なわれ、ミラーダも今回はそんな感じで行う予定でした。
でも、どんなに演者がいいパフォーマンスをしても朗読というのはそれだけでお客さんを満足させるのはなかなか難しく、どうしても飽きがきてしまう、あるいはなかなか心に残る舞台にしづらい傾向があると思います。
今回は本当にひょんなことからこういう形になったんだけど、もちろん反省や次回以降への課題もたくさんありましたが、当初の構想とはかなりイメージの違った舞台になったと思います。「全体の雰囲気がよかった」という感想を何人からかいただくことができたのですが、いくらいい演奏、いい台本、いい朗読を行なったとしても、会場が普通の会館の一室だったら、客電がつきっぱなしだったら、音響が素のままだったら、間違いなくお客さんの印象は違うものになったと思います。
今回は演出の持つ力の大きさを感じた舞台でした。もちろん、お客さんに対するイメージだけではなくて、役者側のテンションも変わってきますしね。その分、手間もお金もかかるわけですが、舞台表現に関わるものとして今回はいい勉強になりました。そして楽しかったです。本当にいい一日にすることができました。
演出について長々書きましたが、もちろん基本は演じ手の実力です。今回は1時間半喋りっぱなしという今までにない体験をしたわけですが、アクターとしての体作りの重要性を感じた舞台でもありました。そんな訳で今日も4キロほど走ってストレッチして就寝です。なんとか時間を有効に使ってランニングとストレッチの時間を作るのが今シーズンの僕の課題です。頑張るぞ〜!脱いでもすごいアクター目指してこれからも日々精進です!
be do have
2005年3月12日一年の計は元旦にありといいますが、お正月に次いで目標を立てることが多いのはこの3月、4月あたりではないでしょうか。日本の学校や会社は4月スタートのところがほとんどなので、むしろ一年の計画や目標なんかを立てるには正月よりも具体性があって適当なのかもしれないですね。気温もだんだんあったかくなってくるこの時期「今年はいっちょうこれをやってやるか」なんて気持ちを新たにするにはいい季節ではないでしょうか。
ところで、まあ僕らは別に正月や春に限定されなくても常に目標を見つけては頑張ったりしているわけなんだけど、けっきょく長続きしなくって「あ〜あ、今年もまたダメだったよ(笑)」なんて笑い話のネタになってしまって、飲み屋で笑って消えていくケースというのは決して少なくはないと思う。
別にすべての目的に初志貫徹で取り組み、精進すべきだ!なんてことは思わないし、不言実行なんていうちょっとかっこよすぎることよりも有言実行、あるいは言うだけ言って結局やんなかった。なんていう有言不実行なくらいが愛嬌があっていいじゃないかと思ってるクチなんですが、人の話を聞いたりしていると、どんな現実的な目標であっても継続してとり組むのはなかなか難しいんだなと感じたりもします。
ただ、最近ちょっと気になるんだけど、みんな一体どんな目標の立て方をしているんだろう。僕の知り合いで毎回毎回目標を立てては計画倒れに終わるというパターンを繰り返している人とかいるんだけど、なんか途中で挫折する目標の立て方を見てると一つの共通点が見えてくる気がするんですよね。それは何かというと、いわゆる「be do have」の順序が問題なのでは、ということです。
「いわゆる」なんて書いた割にむしろ分かりずらそうな例えですが、どういうことかというと、失敗するパターンの場合、その多くは、be(目標)とdo(方法・実行)の動機の順番が逆なのではないか、あるいは力の入れ方が問題なのではないかなということです。
例えば、体重をあと5キロ痩せたいといってる人がいたとして、一念発起してダイエットに取り組んで失敗してやめてしまう。またはリバウンドして結局元に戻ってしまうなんていうのはよく聞く話だと思います。その人に、なんで痩せたいと思うのかと聞くとたいていかっこよくなりたいからとか健康になりたいとか答えるんだけど、そもそもその時点で動機の取り方がちょっと危うい気がするんですよね。
なんでかというと、例えば頑張って5キロやせたとします。その結果、今まで入らなかった服がスマートに着こなせてなんか体調もよくなったとして、それはそれでいいんだけど、その結果、一体その人がどうしたいかというのが実は一番重要なのではないかと思うんですよね。
例えばカッコよくなってかわいい女の子とつき合いたい、それは別にまったく悪いことではないんだけど、なんか漠然としていて動機としては具体性を欠いていて力がいまひとつ入りきらないような気がするじゃないですか。それよりもまずは、もう思わず走り出さなきゃ気が収まらないほど好きになる女の子を見つけることの方がよっぽど努力をするためのきっかけとしては強烈な気がします。
「これができたらこうしよう」と思っていては、いつまで経っても目標なんか達成できないのではないだろうか。昔、僕の卒業論文を指導してくれた先生が「論文は書きたいテーマが決まったら8割方終わったも同然」って言っていたんだけど、まさにこれはその通りだと思います。つまり、本を読んでから何を知りたいのか探すのではなく、知りたいことを知るために勉強する、本を読むということだと思います。お金を貯めたから金持ちになるのではなく、お金をたくさん手に入れるためにどうすればよいか考えたから金持ちになったというのは有名な言葉ですが、つまりはそういうことなのではないかと思います。
つまりは「be」、何がしたいのか、どんな自分になりたいのか、それが強烈に自覚できれば体はおのずと動いてしまうんだと思います。人とお酒を飲みながら、ご飯を食べながらする話や、映画や本や音楽や、世の中には夢や動機を作り出すスイッチがたくさん用意されていて、そんな中から生み出された「be」が「do」を生んで、結果「have」、何かを手にしていく、作り出していくというのが僕の理想とする流れです。
思えば6年前、どうしてもギターを弾きながら歌を歌えるようになりたかった僕はギターを買ってすぐに大宮駅に向かい、路上で弾いている人にコードの読み方を教えてもらって、たった5つのコードでできている曲をその場で1曲だけ覚えて、2時間も3時間も歌い続けていました。結局、6年経ってもそんなに上手になってないけど、今の僕が曲を作ったり大好きな仲間と一緒にバンドができてライブハウスで歌ったりしてることを考えると、あの時にとった方法は決して間違ってはいなかったんだろうなって思ったりします。ギターが上手くなるのが目標なのではなく、人前で演奏するのが目標であるということ。オシャレになることが目標なのではなく、服に詳しくなって周りの人にかっこいいと思われたいということ。知識をたくさん仕入れることが目標なのではなく、いろんな人とたくさんの話をしたいということ。一見同じことをしているようでもその人の「be」の捕らえ方によって内容も性格もまったく違うものになるのだと思う。
大学時代さんざん遊びほうけたおかげで今の僕にはたくさんの「be」があります。バンドも朗読も勉強もそうです。常に楽しいことを見つける努力、興奮できる毎日を探して来シーズンもいっちょうがんばったろうかなと思う初春の佐藤でした。
ところで、まあ僕らは別に正月や春に限定されなくても常に目標を見つけては頑張ったりしているわけなんだけど、けっきょく長続きしなくって「あ〜あ、今年もまたダメだったよ(笑)」なんて笑い話のネタになってしまって、飲み屋で笑って消えていくケースというのは決して少なくはないと思う。
別にすべての目的に初志貫徹で取り組み、精進すべきだ!なんてことは思わないし、不言実行なんていうちょっとかっこよすぎることよりも有言実行、あるいは言うだけ言って結局やんなかった。なんていう有言不実行なくらいが愛嬌があっていいじゃないかと思ってるクチなんですが、人の話を聞いたりしていると、どんな現実的な目標であっても継続してとり組むのはなかなか難しいんだなと感じたりもします。
ただ、最近ちょっと気になるんだけど、みんな一体どんな目標の立て方をしているんだろう。僕の知り合いで毎回毎回目標を立てては計画倒れに終わるというパターンを繰り返している人とかいるんだけど、なんか途中で挫折する目標の立て方を見てると一つの共通点が見えてくる気がするんですよね。それは何かというと、いわゆる「be do have」の順序が問題なのでは、ということです。
「いわゆる」なんて書いた割にむしろ分かりずらそうな例えですが、どういうことかというと、失敗するパターンの場合、その多くは、be(目標)とdo(方法・実行)の動機の順番が逆なのではないか、あるいは力の入れ方が問題なのではないかなということです。
例えば、体重をあと5キロ痩せたいといってる人がいたとして、一念発起してダイエットに取り組んで失敗してやめてしまう。またはリバウンドして結局元に戻ってしまうなんていうのはよく聞く話だと思います。その人に、なんで痩せたいと思うのかと聞くとたいていかっこよくなりたいからとか健康になりたいとか答えるんだけど、そもそもその時点で動機の取り方がちょっと危うい気がするんですよね。
なんでかというと、例えば頑張って5キロやせたとします。その結果、今まで入らなかった服がスマートに着こなせてなんか体調もよくなったとして、それはそれでいいんだけど、その結果、一体その人がどうしたいかというのが実は一番重要なのではないかと思うんですよね。
例えばカッコよくなってかわいい女の子とつき合いたい、それは別にまったく悪いことではないんだけど、なんか漠然としていて動機としては具体性を欠いていて力がいまひとつ入りきらないような気がするじゃないですか。それよりもまずは、もう思わず走り出さなきゃ気が収まらないほど好きになる女の子を見つけることの方がよっぽど努力をするためのきっかけとしては強烈な気がします。
「これができたらこうしよう」と思っていては、いつまで経っても目標なんか達成できないのではないだろうか。昔、僕の卒業論文を指導してくれた先生が「論文は書きたいテーマが決まったら8割方終わったも同然」って言っていたんだけど、まさにこれはその通りだと思います。つまり、本を読んでから何を知りたいのか探すのではなく、知りたいことを知るために勉強する、本を読むということだと思います。お金を貯めたから金持ちになるのではなく、お金をたくさん手に入れるためにどうすればよいか考えたから金持ちになったというのは有名な言葉ですが、つまりはそういうことなのではないかと思います。
つまりは「be」、何がしたいのか、どんな自分になりたいのか、それが強烈に自覚できれば体はおのずと動いてしまうんだと思います。人とお酒を飲みながら、ご飯を食べながらする話や、映画や本や音楽や、世の中には夢や動機を作り出すスイッチがたくさん用意されていて、そんな中から生み出された「be」が「do」を生んで、結果「have」、何かを手にしていく、作り出していくというのが僕の理想とする流れです。
思えば6年前、どうしてもギターを弾きながら歌を歌えるようになりたかった僕はギターを買ってすぐに大宮駅に向かい、路上で弾いている人にコードの読み方を教えてもらって、たった5つのコードでできている曲をその場で1曲だけ覚えて、2時間も3時間も歌い続けていました。結局、6年経ってもそんなに上手になってないけど、今の僕が曲を作ったり大好きな仲間と一緒にバンドができてライブハウスで歌ったりしてることを考えると、あの時にとった方法は決して間違ってはいなかったんだろうなって思ったりします。ギターが上手くなるのが目標なのではなく、人前で演奏するのが目標であるということ。オシャレになることが目標なのではなく、服に詳しくなって周りの人にかっこいいと思われたいということ。知識をたくさん仕入れることが目標なのではなく、いろんな人とたくさんの話をしたいということ。一見同じことをしているようでもその人の「be」の捕らえ方によって内容も性格もまったく違うものになるのだと思う。
大学時代さんざん遊びほうけたおかげで今の僕にはたくさんの「be」があります。バンドも朗読も勉強もそうです。常に楽しいことを見つける努力、興奮できる毎日を探して来シーズンもいっちょうがんばったろうかなと思う初春の佐藤でした。
walking in the bookstore
2005年3月5日今日、久しぶりにのんびり本屋さんに行ってきました。大宮のジュンク堂書店を一時間半かけてゆっくりまわってきたのですが、とても充実した気分で大満足です。
高校生になって電車通学を始めた頃から、用がなくても本屋と電気屋にいくのが習慣になっています。僕には、この二つにまめに足を運んでいれば世の中の流れに遅れることはないという根拠があるんだかないんだか分からない自論があるのですが、ともかく大型書店、または電気店のある町に出かけたら必ずと言っていいほど足を運びます。
さすがに友達と遊びに行くときまで無理に行ったりはしないんだけど、特に本屋には行くだけで満足というか、あの本に囲まれている感じがたまらなく好きです。ちなみに、しょっちゅう本屋に行って何を立ち読みするのかと思うかもしれないんですが、僕は立ち読み目的に行くというよりは、本屋に行ったらまんべんなくフロアを歩き回るのを常にしています。必ずしも毎回ではないですが、児童書から学習参考書、国内旅行ガイドに料理・趣味のコーナー、哲学書、情報技術書コーナーまでだいたい隅から隅まで歩いてどんな本があるのか見てまわります。
その歩き方も僕なりのパターンがあるのですが、僕は歩きまわりながら、そのコーナーの本の分量やレイアウトなんかに気をとめたりしています。最近の大型書店なんかでは特にそうなんだけど、注目の本、お勧めの本なんかは表紙が見えるように横に並べてあったりするじゃないですか。そういうのを見ていくと、今そのジャンルでどんなことが注目されているかがだいたい見えてきます。
ついでにそのコーナー内でジャンル別の本の分量とレイアウトを見ると、例えば国内旅行のコーナーを見てみると関東や地元特集以外では圧倒的に京都関連が多くて手の届きやすい所に並べられていることに気がつきます。加えて最近では沖縄関係、特に沖縄に住もう!とか、離島に住もう!といった旅行を少し超えた別荘計画、またはまるごと移住して人生を楽しもうといったタイプの本が増えてきた気がします。同じコーナーでも時間とともに少しずつそのレイアウトや分量が変わって、どんなことが今注目されているのかが見えてくるように思うんですよね。だからなるべく定期的に本屋に行こうと心がけたりしています。
ちなみに一番お気に入りのコーナーはどこかというと、これはなぜか辞書・辞典のコーナーだったりします。昔は自分好みの国語辞書を選ぶのに命を懸けたりしていたんだけど、今はもっぱら眺めるだけです。眺めるだけなんですが、あの分厚い本のアカデミック具合というか、ああ、ここには人類の知識の結晶が集められてるんだなあなんて考えて勝手に感慨深く思ったりしています。
しかし、世の中には本当にたくさんの辞典というやつがあってお馴染み人名事典やことわざ辞典の他に、ちょっと中身の気になる「世界哺乳類和名辞典」とか、埼玉一県でくくるほど出身者が多かったのかと思ってしまう「埼玉俳諧人名辞典」とか、枕言葉的にちょっと手に取るのがためらわれそうな「文章プロのための日本語表現活用辞典」とかたくさんの辞典があります。う〜ん、人間の知識欲の果てしなさを感じるかどうかはともかく、世の中には色んなジャンルがあってそれぞれに命をかけている人がいることは間違いなさそうですね。深いなあ。
ちなみに、この「ジュンク堂」というちょっと変わった名前の由来は、創業者の工藤淳さんの姓と名をひっくり返したものなんだそうです。日本の本屋は店によって価格が違わないので本の量と種類、並べ方(見せ方)が気になるところなんだけどジュンク堂はいいですね。他の大型書店に比べてかなり僕好みでいい感じです。椅子も置いてあるので座って本が選べるのもいいですよね。
ちなみに今日は一時間半まわって、けっきょく閉店間際に三冊買って帰ってきました。内容は渡辺純一の文庫本、そば通〜江戸ソバリエが選ぶ旨い蕎麦88〜、週刊神社紀行です。さて、何から読もうかな。これで一週間は楽しめそうです♪
高校生になって電車通学を始めた頃から、用がなくても本屋と電気屋にいくのが習慣になっています。僕には、この二つにまめに足を運んでいれば世の中の流れに遅れることはないという根拠があるんだかないんだか分からない自論があるのですが、ともかく大型書店、または電気店のある町に出かけたら必ずと言っていいほど足を運びます。
さすがに友達と遊びに行くときまで無理に行ったりはしないんだけど、特に本屋には行くだけで満足というか、あの本に囲まれている感じがたまらなく好きです。ちなみに、しょっちゅう本屋に行って何を立ち読みするのかと思うかもしれないんですが、僕は立ち読み目的に行くというよりは、本屋に行ったらまんべんなくフロアを歩き回るのを常にしています。必ずしも毎回ではないですが、児童書から学習参考書、国内旅行ガイドに料理・趣味のコーナー、哲学書、情報技術書コーナーまでだいたい隅から隅まで歩いてどんな本があるのか見てまわります。
その歩き方も僕なりのパターンがあるのですが、僕は歩きまわりながら、そのコーナーの本の分量やレイアウトなんかに気をとめたりしています。最近の大型書店なんかでは特にそうなんだけど、注目の本、お勧めの本なんかは表紙が見えるように横に並べてあったりするじゃないですか。そういうのを見ていくと、今そのジャンルでどんなことが注目されているかがだいたい見えてきます。
ついでにそのコーナー内でジャンル別の本の分量とレイアウトを見ると、例えば国内旅行のコーナーを見てみると関東や地元特集以外では圧倒的に京都関連が多くて手の届きやすい所に並べられていることに気がつきます。加えて最近では沖縄関係、特に沖縄に住もう!とか、離島に住もう!といった旅行を少し超えた別荘計画、またはまるごと移住して人生を楽しもうといったタイプの本が増えてきた気がします。同じコーナーでも時間とともに少しずつそのレイアウトや分量が変わって、どんなことが今注目されているのかが見えてくるように思うんですよね。だからなるべく定期的に本屋に行こうと心がけたりしています。
ちなみに一番お気に入りのコーナーはどこかというと、これはなぜか辞書・辞典のコーナーだったりします。昔は自分好みの国語辞書を選ぶのに命を懸けたりしていたんだけど、今はもっぱら眺めるだけです。眺めるだけなんですが、あの分厚い本のアカデミック具合というか、ああ、ここには人類の知識の結晶が集められてるんだなあなんて考えて勝手に感慨深く思ったりしています。
しかし、世の中には本当にたくさんの辞典というやつがあってお馴染み人名事典やことわざ辞典の他に、ちょっと中身の気になる「世界哺乳類和名辞典」とか、埼玉一県でくくるほど出身者が多かったのかと思ってしまう「埼玉俳諧人名辞典」とか、枕言葉的にちょっと手に取るのがためらわれそうな「文章プロのための日本語表現活用辞典」とかたくさんの辞典があります。う〜ん、人間の知識欲の果てしなさを感じるかどうかはともかく、世の中には色んなジャンルがあってそれぞれに命をかけている人がいることは間違いなさそうですね。深いなあ。
ちなみに、この「ジュンク堂」というちょっと変わった名前の由来は、創業者の工藤淳さんの姓と名をひっくり返したものなんだそうです。日本の本屋は店によって価格が違わないので本の量と種類、並べ方(見せ方)が気になるところなんだけどジュンク堂はいいですね。他の大型書店に比べてかなり僕好みでいい感じです。椅子も置いてあるので座って本が選べるのもいいですよね。
ちなみに今日は一時間半まわって、けっきょく閉店間際に三冊買って帰ってきました。内容は渡辺純一の文庫本、そば通〜江戸ソバリエが選ぶ旨い蕎麦88〜、週刊神社紀行です。さて、何から読もうかな。これで一週間は楽しめそうです♪
ビキニ・デー
2005年3月1日まったくもって知らなかったんだけど3月1日は「ビキニ・デー」なんだそうだ。
瞬間、頭の中にはカリフォルニアの太陽の下、とびきりの笑顔で駆け寄ってくるジェーンのビキニ姿がフラッシュバックした訳ですが、本当にそんな思い出なんかあるのか、つーかそもそもジェーンなんていう知り合いがお前にいるのかと言う話は置いておいて、これは太平洋のビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、附近を航行していたまぐろ漁船「第五福竜丸」の乗組員が被曝した日のことなんだそうです。
へえと思って、じゃあ例の水着のビキニはいったいどういう意味なんだろうと気になり辞書を引いてみました。するとそこにはこうあります。
「ビキニ 【Bikini】 ?(着用時の効果をたわむれに核爆発になぞらえての称)胸と腰だけを覆う型の女性用水着」 (広辞苑第五版)
…マジか?と思いましたが、広辞苑に書いてあるのでマジなのでしょう。まあ、女性の魅力について「ダイナマイト」なんていう言い方もあるけど、まさかそのまんまビキニ環礁の一件から引っ張ってきてるとは…世の中平和になったんですね。それはそれで悪いことではないのかなあ。
ちなみに前、イギリスのユースホステルで知り合った男の子とパブで飲んだとき、延々2時間にわたってビキニの魅力について熱弁されたことがありました。「君はビキニをどう思う?」「ビキニの女の子とビーチに行ったことはないのかい?」「日本のビーチのビキニ率はどの程度なのか?」と、話すトピックスがすべてビキニ絡みで、最初は適当に笑っていたのですが途中からだんだんうっとうしくなってしまい、とうとう「君の町にはビキニのいるビーチがあるのか?」という質問に「ゼアリズノービーチ、イッツオーケー!ノーガール、ノービーチ、ノービキニだ!!」と答えて会話を切ってしまいました。彼は「それは…残念だね」と少し寂しそうに答えて席を立ちました。あれから一年、彼は今も地元のビーチでビキニを求めてさまよっているんだろうか。と、まあそんなわけで3月1日ビキニ・デー。THE YO-GO’Sセカンドライブは北浦和エアーズ。ダイナマイな魅力で2005年の戦闘開始です!!
瞬間、頭の中にはカリフォルニアの太陽の下、とびきりの笑顔で駆け寄ってくるジェーンのビキニ姿がフラッシュバックした訳ですが、本当にそんな思い出なんかあるのか、つーかそもそもジェーンなんていう知り合いがお前にいるのかと言う話は置いておいて、これは太平洋のビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、附近を航行していたまぐろ漁船「第五福竜丸」の乗組員が被曝した日のことなんだそうです。
へえと思って、じゃあ例の水着のビキニはいったいどういう意味なんだろうと気になり辞書を引いてみました。するとそこにはこうあります。
「ビキニ 【Bikini】 ?(着用時の効果をたわむれに核爆発になぞらえての称)胸と腰だけを覆う型の女性用水着」 (広辞苑第五版)
…マジか?と思いましたが、広辞苑に書いてあるのでマジなのでしょう。まあ、女性の魅力について「ダイナマイト」なんていう言い方もあるけど、まさかそのまんまビキニ環礁の一件から引っ張ってきてるとは…世の中平和になったんですね。それはそれで悪いことではないのかなあ。
ちなみに前、イギリスのユースホステルで知り合った男の子とパブで飲んだとき、延々2時間にわたってビキニの魅力について熱弁されたことがありました。「君はビキニをどう思う?」「ビキニの女の子とビーチに行ったことはないのかい?」「日本のビーチのビキニ率はどの程度なのか?」と、話すトピックスがすべてビキニ絡みで、最初は適当に笑っていたのですが途中からだんだんうっとうしくなってしまい、とうとう「君の町にはビキニのいるビーチがあるのか?」という質問に「ゼアリズノービーチ、イッツオーケー!ノーガール、ノービーチ、ノービキニだ!!」と答えて会話を切ってしまいました。彼は「それは…残念だね」と少し寂しそうに答えて席を立ちました。あれから一年、彼は今も地元のビーチでビキニを求めてさまよっているんだろうか。と、まあそんなわけで3月1日ビキニ・デー。THE YO-GO’Sセカンドライブは北浦和エアーズ。ダイナマイな魅力で2005年の戦闘開始です!!
君を待つ間
2005年2月13日昨日、用があって人と待ち合わせをしたんですが僕はこの待ち合わせの時間というやつが大好きだったりします。特に昨日は待ち合わせ相手が初対面だったうえに相手が携帯電話を持っていなかったので、約束の時間近くなると来る人来る人の顔を覗き込みながら、まだかなまだかななんてやっていました。
人を待っている間、いろんなことを考えます。最近はみんな携帯電話を持っていて待ち合わせの時間というものの意識が薄くなってきている気がします。遅れそうな時にはすぐ電話して「ごめん、20分くらい遅れそう。いつものとこに向かうから。」なんて謝って、電話を受けた場合も「そっか、じゃあちょっと雑誌でも読んでようかな…」なんてコンビニで時間つぶしたりね。純粋に相手を待つためだけに使う時間というものが少なくなってきている気がしてなりません。
昨日はたまたまそういう連絡手段の無い状況で、僕は他に2人の人と3人で待っていたんだけど、約束の時間近くになると、誰か探している風の人を見つけてはあの人じゃないか?なんて言ったり、電話ではこんな感じの声だったからこんな人なんじゃないかとか、相手の職業から考えてこんな雰囲気の人だと思うとか、とにかく色んなことを言い合いながらその人を待っていました。
ちょっと前まではこんなことは日常茶飯事だった気がするんですが、今ではとんとご無沙汰になってしまいましたね。僕も今では待ち合わせに遅れそうな時は事前に電話するし、なんの連絡も無い時にはそれこそ何事かと心配するようになってしまいました
(また実際何事か起きていることのほうが多い…)。
まだ携帯電話が無かったころ、思い出してみれば待ち合わせをする時「何分以上遅れたら先にいく」とか「遅れた場合はここを第二の待ち合わせ場所にする」とか、あるいは伝言板なんてのもあったりした訳ですが、とにかく集合場所の雑踏の中で「あの人、今日ちゃんと来てくれるかなあ。寝坊してないかなあ。」なんてずっとその人のことを考えていた覚えがあります。そんな時、ふと周りの風景の色が変わったり、急にものの見え方が変わったり、不思議な気持ちになったことがありました。
別に変な話じゃないんだけど、なんか忙しそうにたくさんの人が行きかうなかで一人ストップモーションしたみたいに一点に立ちつくして辺りを見ていると、普段は見えなかったものが見えたり、気がつかなかったことに気がついたりする瞬間があります。今思えば貴重な時間だったと言うか、会えそうで会えない、その人と一緒に過ごす一日が始まってそうで始まっていないその時間には実際に会っているときとはまた違った楽しさがあったような気がします。
もし、今そんな気持ちになるとしたら待ち合わせの時間よりすっげー早めに到着して、相手が時間を守ってきたとしても一人の時間を堪能できるくらい先回りする必要があるかも知れません。あまりにアホなお話しですが僕は過去に数回突発的にそれを行なったことがあります。当然相手は時間を守って来るから連絡はない。僕は一人で君を待っている。時間5分くらい前に到着した君がなにも知らずに「おお、お待たせ。」なんて言って僕の謎の含み笑いと共にその日の時間が流れだしていきます。
…って別にしょっちゅうそんなことしてる訳ではなくて、あくまで過去に数回突発的に実験的にやっただけなので、これから僕と待ち合わせをする方はどうかびびらずやってきてください。おまけに僕はしばしば軽く遅刻することがあり、君を待つどころか恐る恐る謝罪のメールを出しては、返信メールに打ち込まれた感情の読めない「了解」という二文字に怯えながらため息混じりに待ち合わせ場所に登場することがあります。ともあれ君を待つ間、あるいは僕を待ってくれている間。会っていないのにその人との関係が少しずつゆっくりと進んでいく、不思議な時間が今日も過ぎていきます。
人を待っている間、いろんなことを考えます。最近はみんな携帯電話を持っていて待ち合わせの時間というものの意識が薄くなってきている気がします。遅れそうな時にはすぐ電話して「ごめん、20分くらい遅れそう。いつものとこに向かうから。」なんて謝って、電話を受けた場合も「そっか、じゃあちょっと雑誌でも読んでようかな…」なんてコンビニで時間つぶしたりね。純粋に相手を待つためだけに使う時間というものが少なくなってきている気がしてなりません。
昨日はたまたまそういう連絡手段の無い状況で、僕は他に2人の人と3人で待っていたんだけど、約束の時間近くになると、誰か探している風の人を見つけてはあの人じゃないか?なんて言ったり、電話ではこんな感じの声だったからこんな人なんじゃないかとか、相手の職業から考えてこんな雰囲気の人だと思うとか、とにかく色んなことを言い合いながらその人を待っていました。
ちょっと前まではこんなことは日常茶飯事だった気がするんですが、今ではとんとご無沙汰になってしまいましたね。僕も今では待ち合わせに遅れそうな時は事前に電話するし、なんの連絡も無い時にはそれこそ何事かと心配するようになってしまいました
(また実際何事か起きていることのほうが多い…)。
まだ携帯電話が無かったころ、思い出してみれば待ち合わせをする時「何分以上遅れたら先にいく」とか「遅れた場合はここを第二の待ち合わせ場所にする」とか、あるいは伝言板なんてのもあったりした訳ですが、とにかく集合場所の雑踏の中で「あの人、今日ちゃんと来てくれるかなあ。寝坊してないかなあ。」なんてずっとその人のことを考えていた覚えがあります。そんな時、ふと周りの風景の色が変わったり、急にものの見え方が変わったり、不思議な気持ちになったことがありました。
別に変な話じゃないんだけど、なんか忙しそうにたくさんの人が行きかうなかで一人ストップモーションしたみたいに一点に立ちつくして辺りを見ていると、普段は見えなかったものが見えたり、気がつかなかったことに気がついたりする瞬間があります。今思えば貴重な時間だったと言うか、会えそうで会えない、その人と一緒に過ごす一日が始まってそうで始まっていないその時間には実際に会っているときとはまた違った楽しさがあったような気がします。
もし、今そんな気持ちになるとしたら待ち合わせの時間よりすっげー早めに到着して、相手が時間を守ってきたとしても一人の時間を堪能できるくらい先回りする必要があるかも知れません。あまりにアホなお話しですが僕は過去に数回突発的にそれを行なったことがあります。当然相手は時間を守って来るから連絡はない。僕は一人で君を待っている。時間5分くらい前に到着した君がなにも知らずに「おお、お待たせ。」なんて言って僕の謎の含み笑いと共にその日の時間が流れだしていきます。
…って別にしょっちゅうそんなことしてる訳ではなくて、あくまで過去に数回突発的に実験的にやっただけなので、これから僕と待ち合わせをする方はどうかびびらずやってきてください。おまけに僕はしばしば軽く遅刻することがあり、君を待つどころか恐る恐る謝罪のメールを出しては、返信メールに打ち込まれた感情の読めない「了解」という二文字に怯えながらため息混じりに待ち合わせ場所に登場することがあります。ともあれ君を待つ間、あるいは僕を待ってくれている間。会っていないのにその人との関係が少しずつゆっくりと進んでいく、不思議な時間が今日も過ぎていきます。
真昼のランニング
2005年1月31日真昼間からランニングをするのが好きです。
「学生時代にしかできないこと」といえば世間様では長期で旅行に行くとか語学をしっかり勉強するとかいろいろ言われていますが、平日昼間に公園をランニングというのも社会人になってはなかなかできないことだと思います。僕のランニングコースは自宅に隣接している一周約760メートルの遊水地公園なのですが、普段主にランニングをする夕過ぎには見ることのできない、いろんなものを見ることができます。
公園にいる人の中で一番多いのは子ども連れのお母さんです。だいたい3、4組の親子がかたまっておしゃべりをしたり遊んだりしています。そこに通りかかって話の輪に加わるのは愛犬を連れた年配の方です。この愛犬家も時には2、3組の集団になって散歩していて、時々すれ違う犬同士が吠え合うのを真剣な顔でいさめたりしています。時々こどもが、あ、わんわん。とかいって犬に近づいたら思いっきり吠えられて、わ〜!おかあさ〜ん!なんて母親に抱きしめられて、どうもすいません、こら!まったく、だめでしょう!なんて飼い主に犬が怒られて苦笑いの笑顔が花咲く公園の昼下がりです。
あと、よく見るのは建設関係の土方さんたちが剥き出しのアスファストの上にごろんと寝ている姿。家から持ってきた水筒のお茶にお弁当を食べながらそんな家族のやりとりを遠目に眺めています。僕の見る限り、昼休みの土方さんは横になって誰ともしゃべらず寝ている人、空を見ている人なんかが多い気がします。いったい何を考えているんだろう。仕事が始まった後の荒々しさや騒々しさと相反してすごく静かな印象です。
そんな脇を、公園一周を一時間くらいかけて周るほどのスピードで手を取り合った老夫婦が歩いていきます。僕が以前、大学まで荒川沿いの道を自転車で通っていたころ、必ずすれ違う老夫婦ランナーがいたのですが、そういう手と手を取り合って寄り添っている熟年夫婦をみると、その二人がなんかすごく強烈な一つの塊に見えてくる瞬間があります。外国の街中なんかでもよく感じることなのですが、そういう時、人が老いるということは失うということではなく、重ねていく、作り上げていくということなのかなと考えたりします。すごくあたたかい雰囲気がそこにあります。
そんなこんなで真昼にランニングをすると、日が落ちてからでは見えないものをたくさん見ることができます。単純に昼間は夜よりあったかくて汗もかきやすくて気持ちいいし、頭も体もほぐれてその日が充実するし、ご飯も美味しくなるしいいことずくめです。それと、書き忘れましたが、子どもと母親のやり取りを見ていると、例えば風や、水や砂の粒の大きさの一つ一つや、池に泳ぐカルガモ、水面に反射する日の光まですべてのものが人にとって先生になるんだなあと改めて思ったりします。子どものころ、僕らも確かにそれらにいろんなことを教えられて、今ではすっかり会いに行く暇もなくなってきたけど、もう一度思い出してよく向き合ってみると色んなことを伝えてくるのがわかります。子どもじゃなくても25になってもわかります。今だからわかることもあります。真昼のランニングを終えて午後一時。すきっ腹佐藤の独り言で太陽がちょうどベランダの真正面に来た月曜日のお昼下がりでした。
「学生時代にしかできないこと」といえば世間様では長期で旅行に行くとか語学をしっかり勉強するとかいろいろ言われていますが、平日昼間に公園をランニングというのも社会人になってはなかなかできないことだと思います。僕のランニングコースは自宅に隣接している一周約760メートルの遊水地公園なのですが、普段主にランニングをする夕過ぎには見ることのできない、いろんなものを見ることができます。
公園にいる人の中で一番多いのは子ども連れのお母さんです。だいたい3、4組の親子がかたまっておしゃべりをしたり遊んだりしています。そこに通りかかって話の輪に加わるのは愛犬を連れた年配の方です。この愛犬家も時には2、3組の集団になって散歩していて、時々すれ違う犬同士が吠え合うのを真剣な顔でいさめたりしています。時々こどもが、あ、わんわん。とかいって犬に近づいたら思いっきり吠えられて、わ〜!おかあさ〜ん!なんて母親に抱きしめられて、どうもすいません、こら!まったく、だめでしょう!なんて飼い主に犬が怒られて苦笑いの笑顔が花咲く公園の昼下がりです。
あと、よく見るのは建設関係の土方さんたちが剥き出しのアスファストの上にごろんと寝ている姿。家から持ってきた水筒のお茶にお弁当を食べながらそんな家族のやりとりを遠目に眺めています。僕の見る限り、昼休みの土方さんは横になって誰ともしゃべらず寝ている人、空を見ている人なんかが多い気がします。いったい何を考えているんだろう。仕事が始まった後の荒々しさや騒々しさと相反してすごく静かな印象です。
そんな脇を、公園一周を一時間くらいかけて周るほどのスピードで手を取り合った老夫婦が歩いていきます。僕が以前、大学まで荒川沿いの道を自転車で通っていたころ、必ずすれ違う老夫婦ランナーがいたのですが、そういう手と手を取り合って寄り添っている熟年夫婦をみると、その二人がなんかすごく強烈な一つの塊に見えてくる瞬間があります。外国の街中なんかでもよく感じることなのですが、そういう時、人が老いるということは失うということではなく、重ねていく、作り上げていくということなのかなと考えたりします。すごくあたたかい雰囲気がそこにあります。
そんなこんなで真昼にランニングをすると、日が落ちてからでは見えないものをたくさん見ることができます。単純に昼間は夜よりあったかくて汗もかきやすくて気持ちいいし、頭も体もほぐれてその日が充実するし、ご飯も美味しくなるしいいことずくめです。それと、書き忘れましたが、子どもと母親のやり取りを見ていると、例えば風や、水や砂の粒の大きさの一つ一つや、池に泳ぐカルガモ、水面に反射する日の光まですべてのものが人にとって先生になるんだなあと改めて思ったりします。子どものころ、僕らも確かにそれらにいろんなことを教えられて、今ではすっかり会いに行く暇もなくなってきたけど、もう一度思い出してよく向き合ってみると色んなことを伝えてくるのがわかります。子どもじゃなくても25になってもわかります。今だからわかることもあります。真昼のランニングを終えて午後一時。すきっ腹佐藤の独り言で太陽がちょうどベランダの真正面に来た月曜日のお昼下がりでした。
公開日記を始めて
2005年1月26日はやくも日記の域を飛び越えコラムかエッセイみたいになってきましたが、昨日でちょうど10日分書きました。
なんか一つ一つが本当に長いので、いったいどのくらい書いたのかと思い調べてみたら、概算で約200000字。原稿用紙に直すと約50枚に達することに気がついて我ながら少し驚きました。20000字といえばロッキンオンジャパンのインタビューなんかがこの分量に相当しますね。いやあ、我ながらなかなかのハイペースだ。
公開日記ということで、初日の日記にも書きましたが当然人様の目に触れるわけです。もちろん嘘なんか書けないし、誤字脱字や表現の一つ一つにいたるまで結構注意しています。最初はぜんぜん気にしないで書いていたんだけど、書いているうちに「これを人が見たら、しかもぜんぜん僕のことを知らない人とかが見たらどう思うだろう」と考えだして、ただ単純に言葉を並べるのではなく、多少なりとも読み手に伝わる感覚を意識するようになりました。
この日記に対してぼちぼちリアクションをいただくのですが、本当に勉強になるなと感じています。文章だけでなく絵や芝居や音楽なんかでもそうなんですが、人前で行うというのはどんな練習にも勝る上達法なんですよね。逆に言えば恥かしいからといって人前で発表しないことほど上達を遅らせるものはないと思います。僕の愛読する徒然草にも同じようなことが書いてありますが、まったくその通りだなと実感しています。
ただし、人前に物を出す、特に自分のオリジナルとしてのものを出すと言うのは少し性格が違うように感じています。そこには少なからず責任という名のプラスアルファが発生する気がするんですよね。
例えば、この日記なんかでもそうなんだけど、大げさに言えば僕はここで一種の自己表現・自己顕示をしているわけで、もちろんお金をとって読み手を選んでいるわけではないし、素人の遊びの範疇を出ないことは知っているんだけど、これを出すことによって、この日記を見た人に、佐藤がどんなことを考えていて、どの程度の文章力でなんていう情報がここを通して伝わっていく、もしかしたら本人の意識を超えたところでとらえられてしまう可能性すらあるんだなあと思ったりもします。
最近、著作権の問題で話題になったアイドルがいるけれど、例えば僕がここで人の言葉をあたかも自分のもののように使ったらそれはそれでまずいわけですよね。普通のプライベートの日記だったらそんなのまず考えないじゃないですか。むしろ感情にまかせてばんばん使ってしまって後から読み返すと赤面みたいな感じでね。ともかく、これも立派に世間に向かって「公開」しているんだっていうことを心に留めながら書いていこうと、そう考えています。
とはいっても素人の気楽さでけっこう自由に書いていて、清宮君の日記にもあるのですが、けっこういい憂さ晴らしになっています。ああ、面白いなあなんて、かたかたかたかた今日も打っています。いままでさんざん硬く書いちゃったけど、別に深い意味じゃなくて自分の文章を見つめるいい機会になっています。ちなみに僕の文章を一番読んでいるのは、ほぼ間違いなく僕でしょう。知人関係者様はご存知でしょうが誤字脱字の異様に多い僕は毎回文章を打った後に10回以上は見直しています。それに最近、自分の文章の癖と言うやつが見えてきてけっこう新鮮でした。直したいな、もっと良くしたいなと思うところもいっぱい見つかりました。これからはそういうところも含めて、あくまでマイペースに書ける範囲で書いていきたいと思います。
そうだなあ、さしあたり少し分量を短めにして簡潔にかけるように心がけてみようかな。一日分が原稿用紙7枚を突破すると読み手はおろか僕自身の見直し作業だけでアホみたいな時間がかかるので。今日はここまでで約1600字。原稿用紙4枚分です。うん、いい感じだ。今後、僕の日記が短くなればなるほど、それは佐藤が佐藤なりに真剣に考えて書いてるんだなと思ってください(笑)。
それでは、本日はここまで。明日もいい日になりますように。
なんか一つ一つが本当に長いので、いったいどのくらい書いたのかと思い調べてみたら、概算で約200000字。原稿用紙に直すと約50枚に達することに気がついて我ながら少し驚きました。20000字といえばロッキンオンジャパンのインタビューなんかがこの分量に相当しますね。いやあ、我ながらなかなかのハイペースだ。
公開日記ということで、初日の日記にも書きましたが当然人様の目に触れるわけです。もちろん嘘なんか書けないし、誤字脱字や表現の一つ一つにいたるまで結構注意しています。最初はぜんぜん気にしないで書いていたんだけど、書いているうちに「これを人が見たら、しかもぜんぜん僕のことを知らない人とかが見たらどう思うだろう」と考えだして、ただ単純に言葉を並べるのではなく、多少なりとも読み手に伝わる感覚を意識するようになりました。
この日記に対してぼちぼちリアクションをいただくのですが、本当に勉強になるなと感じています。文章だけでなく絵や芝居や音楽なんかでもそうなんですが、人前で行うというのはどんな練習にも勝る上達法なんですよね。逆に言えば恥かしいからといって人前で発表しないことほど上達を遅らせるものはないと思います。僕の愛読する徒然草にも同じようなことが書いてありますが、まったくその通りだなと実感しています。
ただし、人前に物を出す、特に自分のオリジナルとしてのものを出すと言うのは少し性格が違うように感じています。そこには少なからず責任という名のプラスアルファが発生する気がするんですよね。
例えば、この日記なんかでもそうなんだけど、大げさに言えば僕はここで一種の自己表現・自己顕示をしているわけで、もちろんお金をとって読み手を選んでいるわけではないし、素人の遊びの範疇を出ないことは知っているんだけど、これを出すことによって、この日記を見た人に、佐藤がどんなことを考えていて、どの程度の文章力でなんていう情報がここを通して伝わっていく、もしかしたら本人の意識を超えたところでとらえられてしまう可能性すらあるんだなあと思ったりもします。
最近、著作権の問題で話題になったアイドルがいるけれど、例えば僕がここで人の言葉をあたかも自分のもののように使ったらそれはそれでまずいわけですよね。普通のプライベートの日記だったらそんなのまず考えないじゃないですか。むしろ感情にまかせてばんばん使ってしまって後から読み返すと赤面みたいな感じでね。ともかく、これも立派に世間に向かって「公開」しているんだっていうことを心に留めながら書いていこうと、そう考えています。
とはいっても素人の気楽さでけっこう自由に書いていて、清宮君の日記にもあるのですが、けっこういい憂さ晴らしになっています。ああ、面白いなあなんて、かたかたかたかた今日も打っています。いままでさんざん硬く書いちゃったけど、別に深い意味じゃなくて自分の文章を見つめるいい機会になっています。ちなみに僕の文章を一番読んでいるのは、ほぼ間違いなく僕でしょう。知人関係者様はご存知でしょうが誤字脱字の異様に多い僕は毎回文章を打った後に10回以上は見直しています。それに最近、自分の文章の癖と言うやつが見えてきてけっこう新鮮でした。直したいな、もっと良くしたいなと思うところもいっぱい見つかりました。これからはそういうところも含めて、あくまでマイペースに書ける範囲で書いていきたいと思います。
そうだなあ、さしあたり少し分量を短めにして簡潔にかけるように心がけてみようかな。一日分が原稿用紙7枚を突破すると読み手はおろか僕自身の見直し作業だけでアホみたいな時間がかかるので。今日はここまでで約1600字。原稿用紙4枚分です。うん、いい感じだ。今後、僕の日記が短くなればなるほど、それは佐藤が佐藤なりに真剣に考えて書いてるんだなと思ってください(笑)。
それでは、本日はここまで。明日もいい日になりますように。
TOEIC
2005年1月25日日曜日にTOEICを受験してきました。
僕は高校時代に英語コースに在籍していたとは思えないほど英語ができないのですが、英語が嫌いではなくむしろなんとかして英語の力を上げたい、そのためには試験等の目標を作らなくてはもう絶対に勉強しないであろうという考えのもと、年に最低一回はなんらかの試験を受けるように心がけています。
TOEICとはTest of English for International Communication の略ですが、最近は就職・転職や昇進・昇級の条件に挙げる企業が数多く現れ、履歴書に書けるどころかあっという間に英検の知名度をを上回ってしまった感があります。僕の点数ではまだちょっと恥ずかしくて履歴書には書けないかなあ。ちなみに恥ずかしい履歴書といえば、高校受験で志望校に調査書を出すとき、担任の先生が「この紙にお前が持っている資格を全部書いてこい」と言ってきたので、渡された紙に「実用数学検定3級、ECCジュニアコース終了、イトマンスイミングクラブ2級、日本将棋連盟・将棋アマ初段推薦状、東北書道会毛硬筆2段、英検4級、剣道2級」と書いて提出したら即座に書き直しを命じられました。仕方がないのでECCとイトマンを消して並び順を変え、きれいな字で書いて提出したら受け取ってくれました。いったい何がいけなかったんだろう、未だにわからない。
脱線してしまいましたが、そんなわけでTOIECを受験してきました。僕がこの試験を受けたのは例に漏れず最近のことで、もう一般的にも知名度がずいぶん上がっていたときのことです。ところがうちの父は、僕が初めて英検を受けた中学の時にはすでにTOIECが将来的に有用な資格になると目をつけ、しきりに受験するように促していました。僕の父は常に先のことを考える人で「これからはこれが必要になる」とか「これは、これからこうなっていくと思う」とかしょっちゅう言っているんですが、TOEICに関してもわが父ながらずいぶんいい線ついてたと思います。感服。
残り一年、最後の学生生活が始まりました。卒業までに英語力だけは絶対に上げておきたいと考えています。どんな職業についても日本国内だけで力を発揮できるのと、海外に行っても専門スキルを生かせるのとでは人生における選択肢の幅が絶対的に違うと思うから。「学校で習ったことしかできない」という買い手市場に依存する存在にはなりたくありません。自分から自分をセールスしていける、それも日本国内という枠を超えて挑戦していける人になりたいと思います。海外で出会った人の中には、日本国内での流れに乗るのを良しとせず、自ら外に飛び出してきていた人も数多くいたのですが、本当に自信に満ち溢れていて自由な魅力を感じました。「自由」と言う言葉も日常よく耳にするわりにイメージが漠然とした言葉ですが、何をもって「自由」な存在なのかというなら僕にとってはこんなイメージが強い気がします。好きな場所へ行くために、もっともっと楽しくするために、自分がそれを切り開いていくために必要な力。尾崎豊先生の言うところの「自由」と重なるかどうかはともかく、英語は僕にとってでっかいような気がします。
まあ、あとは単純に海外の本や作品なんかを英語でちゃんと感じたいっていうのがあります。やっぱり生の作品って翻訳とはぜんぜん違うので、もっともっと楽しみを増やすためにもやっぱり英語は僕にとって不可欠な勉強です。というわけで、今日もリスニングをかねてXTCのCDを聴いて寝ようと思います。アルバム「Oranges&Lemons」はもう歴史的名盤です。中でもこれ「THE MAYOR OF SIMPLETON」直訳すると「大バカ者の長」。もうこれを聴いたら勉強なんかやってられなくなるくらいの最高傑作です。今晩はリピートで聴いてしまいそう。明日は果たして勉強になるのかしら。なんて、いきなり本末転倒な予感ですが気にせずヘッドホンで大音量を叩き込みつつふとんに入ります。う〜ん、やっぱり勉強はあとまわしかなあ♪
GOOD DREAM, GOOD NIGHT.
僕は高校時代に英語コースに在籍していたとは思えないほど英語ができないのですが、英語が嫌いではなくむしろなんとかして英語の力を上げたい、そのためには試験等の目標を作らなくてはもう絶対に勉強しないであろうという考えのもと、年に最低一回はなんらかの試験を受けるように心がけています。
TOEICとはTest of English for International Communication の略ですが、最近は就職・転職や昇進・昇級の条件に挙げる企業が数多く現れ、履歴書に書けるどころかあっという間に英検の知名度をを上回ってしまった感があります。僕の点数ではまだちょっと恥ずかしくて履歴書には書けないかなあ。ちなみに恥ずかしい履歴書といえば、高校受験で志望校に調査書を出すとき、担任の先生が「この紙にお前が持っている資格を全部書いてこい」と言ってきたので、渡された紙に「実用数学検定3級、ECCジュニアコース終了、イトマンスイミングクラブ2級、日本将棋連盟・将棋アマ初段推薦状、東北書道会毛硬筆2段、英検4級、剣道2級」と書いて提出したら即座に書き直しを命じられました。仕方がないのでECCとイトマンを消して並び順を変え、きれいな字で書いて提出したら受け取ってくれました。いったい何がいけなかったんだろう、未だにわからない。
脱線してしまいましたが、そんなわけでTOIECを受験してきました。僕がこの試験を受けたのは例に漏れず最近のことで、もう一般的にも知名度がずいぶん上がっていたときのことです。ところがうちの父は、僕が初めて英検を受けた中学の時にはすでにTOIECが将来的に有用な資格になると目をつけ、しきりに受験するように促していました。僕の父は常に先のことを考える人で「これからはこれが必要になる」とか「これは、これからこうなっていくと思う」とかしょっちゅう言っているんですが、TOEICに関してもわが父ながらずいぶんいい線ついてたと思います。感服。
残り一年、最後の学生生活が始まりました。卒業までに英語力だけは絶対に上げておきたいと考えています。どんな職業についても日本国内だけで力を発揮できるのと、海外に行っても専門スキルを生かせるのとでは人生における選択肢の幅が絶対的に違うと思うから。「学校で習ったことしかできない」という買い手市場に依存する存在にはなりたくありません。自分から自分をセールスしていける、それも日本国内という枠を超えて挑戦していける人になりたいと思います。海外で出会った人の中には、日本国内での流れに乗るのを良しとせず、自ら外に飛び出してきていた人も数多くいたのですが、本当に自信に満ち溢れていて自由な魅力を感じました。「自由」と言う言葉も日常よく耳にするわりにイメージが漠然とした言葉ですが、何をもって「自由」な存在なのかというなら僕にとってはこんなイメージが強い気がします。好きな場所へ行くために、もっともっと楽しくするために、自分がそれを切り開いていくために必要な力。尾崎豊先生の言うところの「自由」と重なるかどうかはともかく、英語は僕にとってでっかいような気がします。
まあ、あとは単純に海外の本や作品なんかを英語でちゃんと感じたいっていうのがあります。やっぱり生の作品って翻訳とはぜんぜん違うので、もっともっと楽しみを増やすためにもやっぱり英語は僕にとって不可欠な勉強です。というわけで、今日もリスニングをかねてXTCのCDを聴いて寝ようと思います。アルバム「Oranges&Lemons」はもう歴史的名盤です。中でもこれ「THE MAYOR OF SIMPLETON」直訳すると「大バカ者の長」。もうこれを聴いたら勉強なんかやってられなくなるくらいの最高傑作です。今晩はリピートで聴いてしまいそう。明日は果たして勉強になるのかしら。なんて、いきなり本末転倒な予感ですが気にせずヘッドホンで大音量を叩き込みつつふとんに入ります。う〜ん、やっぱり勉強はあとまわしかなあ♪
GOOD DREAM, GOOD NIGHT.
シールを張らせていただきます
2005年1月23日清宮君の「食べあわせ」という日記の中で僕が登場していました。
相性云々のところに「佐藤君とブックカバー」と書いてあり思わず笑いました。さすがは清宮君よく見てますね。確かに僕はブックカバーが好きではなくて、まずそれを付けて本を持ち歩くことはありません。その理由は後から述べようと思いますが、確かに世の中には相性というやつがあって、僕にもどうしても受け入れられないものがいくつかあります。
その中の一つがブックカバーだったりするんだけど、もう一つ、もうスイカと天ぷらどころの騒ぎではないくらい相性の悪いものがあります。それはなにか。ずばりそれは「佐藤と売り上げのお印」です。
売り上げのお印、いわゆる商品を買って袋を断ったときに商品に張ってくれるあのシールです。コンビニとかで当たり前のように張ってくれるシールなんだけど、僕はあれが猛烈にいやでそれがきっかけでお店の店長まで呼び出して押し問答になったことがあります。清宮君はこのことを知っているので多分あえてはずしてくれたんでしょう。マジ過ぎるので(笑)。
理由はブックカバーと似ている気がするんだけど、理屈っぽく言うならば、いわゆる購入した商品の外見に手を加えられるのがいやだというのが理由です。例えば、文庫本なんかを買って読もうとするじゃないですか。それぞれの本には趣向を凝らした装丁がしてあって、その作品を引き立たせるために一役買っている重要な要素じゃないかと僕は思ってるわけです。ブックカバーをかけるとそれが全部一律になってしまって、個性もなにもなくなってしまう。もちろん、原著には装丁なんかないんだからそのままの状態で純粋に文章を楽しめばいいのかもしれないけれど、逆に言えばせっかく考えて装丁してあるんだからそれも楽しみながら本と向き合いたいと、まあそんな理由です。
で、ブックカバーは個人の意思で取り外しするものだからいやならしなければいいってだけの話なんだけど、シール。あの「売り上げのお印ですので…」なんつって半強制的に貼り付けてくるあのシールだけはどうにも我慢がならないわけです。
僕らはなにも商品の中身だけを楽しみに買い物をしているわけではないと思う。例えば、オレンジジュースとかウーロン茶、スポーツ飲料なんかそうなんだけど、純粋に味のみで買い分けている人ってどれだけいるだろうか?もちろん、多少なりとも味は違うし好みもあるかもしれないんだけど、そこまで大きな違いってないように思う。みんなその商品の持つ雰囲気とかイメージなんかに左右されているところは決して少なくないんじゃないだろうか?だから企業側も「なっちゃん」とか「くー」とかのキャラクターに力を入れたり、テレビCMによって奇跡の巻き返しに成功したポカリスエットとかもそうだけど多くの企業がイメージ戦略に相当の重点をおいているんだと思う。
そんな風にお店で商品を見てレジに持っていって、ちなみに僕は袋をもらうのも好きではなくて、よっぽででない限り袋はもらわないし近所に買い物に行く時は買い物袋を持参していくんだけど、その商品にいきなり好きでもないシールが貼られてしまったら…なんか僕はいやなんですよね。だって、なっちゃんとか買って飲もうとする時に、あの目のところに未成年犯罪者みたいな目隠しシールがあったらテンション下がるじゃないですか。あと、ノートとかね。これから少なくとも何ヶ月単位で付き合おうっていう代物に「LO●T」とか書かれたシールなんか貼られたくないじゃないですか。そうでなくてもコンビニのシールが張られたままのチョコレートとかもいい気分はしないし、べたっと貼られた所に思いっきり切り口なんかがあったときなんかはもう怒りを通り越して悲しみの境地です。
そんな僕の怒りが頂点に達してしまったのが某書店でのやり取りでした。とある本のバックナンバーを探していた僕は例の本屋にその本が置いてあるのを見つけさっそくレジに持って生きました。
佐藤「あ、袋は結構です」
店員「はい、ではテープで失礼しまーす」
佐藤「あ、いや、紙なのでテープはしないでもらえますか?」
店員「では袋に入れさせていただきますね」
佐藤「いや、この中にすぐ入れますので袋は結構です」
店員「ではお買い上げのお印ですのでテープ張らせていただきます」
佐藤「いや、それはちょっと…じゃあ、レシート挟んでもらえますか?」
店員「はい、ではレシートとテープで失礼しまーす」
佐藤「いや、そうじゃなくて…どうしてもテープか袋が必要なんですか?」
店員「はい、そうです。お印ですので」
佐藤「レシートがあって、あなたが確かに見ているのにそれじゃだめなんですか?」
店員「そうですねえ、決まりですので」
佐藤「じゃあ、レシートにシール貼ってください(半怒)」
店員「それはいいですけど、本体にも貼らせていただきます」
佐藤「…(怒)」
店員「すぐはがれますよ」
佐藤「…責任者、いますか?(憤怒)」
店員「はーい、しょうしょうお待ちくださいね」
今思えば僕は僕で子どもだった気がするんですが、どうしても引き下がることができませんでした。だって、この店員の言ってることが明らかにおかしいんだもん、態度も含めて。しかもこの後、この物語は、けっきょく「シールを本体に貼るか袋に入れた状態でなければ販売することはできない」という売り場責任者の判決により僕の完全敗北という形で幕を閉じたわけです。めったに置いてないバックナンバー、それを手に入れるため僕は甘んじてその不当判決を受け入れたのでした。と、いうほど僕は軟弱ではなく「そうですか、では他をあたります」と言って後ろも振り向かず売り場を後にしたのでした。もちろんその後、そのバックナンバーは手に入っていません。今思えばなんとアホな…という感じですが後悔はしていません。自分が嫌なものは嫌。いくつになってもノーといえる日本人を目指そうと思います。
「…あとではがせばいいんじゃないの?」
そんな声が聞こえてきそうですが確かにその通り。後ではがせばいいんです。別に否定する気はさらさらありません。でも、嫌なのはなぜか?それは、実はあんまりよくわかりません。幼少期にテープに絡まって窒息しかけたとかいうトラウマなんかがあれば話は別なんでしょうが、そういうのもなさそうなのでなんとなくというのが本当のところです。だから相性、性分なんですかね。最近はあまり突っ張らずに、お金を払ったら、ささっと先手を打ってカバンにしまうとかしてささやかな抵抗を見せています。日々成長をモットーに佐藤は今日もコンビニで大人の買い物を心がけています(…大人?)。
相性云々のところに「佐藤君とブックカバー」と書いてあり思わず笑いました。さすがは清宮君よく見てますね。確かに僕はブックカバーが好きではなくて、まずそれを付けて本を持ち歩くことはありません。その理由は後から述べようと思いますが、確かに世の中には相性というやつがあって、僕にもどうしても受け入れられないものがいくつかあります。
その中の一つがブックカバーだったりするんだけど、もう一つ、もうスイカと天ぷらどころの騒ぎではないくらい相性の悪いものがあります。それはなにか。ずばりそれは「佐藤と売り上げのお印」です。
売り上げのお印、いわゆる商品を買って袋を断ったときに商品に張ってくれるあのシールです。コンビニとかで当たり前のように張ってくれるシールなんだけど、僕はあれが猛烈にいやでそれがきっかけでお店の店長まで呼び出して押し問答になったことがあります。清宮君はこのことを知っているので多分あえてはずしてくれたんでしょう。マジ過ぎるので(笑)。
理由はブックカバーと似ている気がするんだけど、理屈っぽく言うならば、いわゆる購入した商品の外見に手を加えられるのがいやだというのが理由です。例えば、文庫本なんかを買って読もうとするじゃないですか。それぞれの本には趣向を凝らした装丁がしてあって、その作品を引き立たせるために一役買っている重要な要素じゃないかと僕は思ってるわけです。ブックカバーをかけるとそれが全部一律になってしまって、個性もなにもなくなってしまう。もちろん、原著には装丁なんかないんだからそのままの状態で純粋に文章を楽しめばいいのかもしれないけれど、逆に言えばせっかく考えて装丁してあるんだからそれも楽しみながら本と向き合いたいと、まあそんな理由です。
で、ブックカバーは個人の意思で取り外しするものだからいやならしなければいいってだけの話なんだけど、シール。あの「売り上げのお印ですので…」なんつって半強制的に貼り付けてくるあのシールだけはどうにも我慢がならないわけです。
僕らはなにも商品の中身だけを楽しみに買い物をしているわけではないと思う。例えば、オレンジジュースとかウーロン茶、スポーツ飲料なんかそうなんだけど、純粋に味のみで買い分けている人ってどれだけいるだろうか?もちろん、多少なりとも味は違うし好みもあるかもしれないんだけど、そこまで大きな違いってないように思う。みんなその商品の持つ雰囲気とかイメージなんかに左右されているところは決して少なくないんじゃないだろうか?だから企業側も「なっちゃん」とか「くー」とかのキャラクターに力を入れたり、テレビCMによって奇跡の巻き返しに成功したポカリスエットとかもそうだけど多くの企業がイメージ戦略に相当の重点をおいているんだと思う。
そんな風にお店で商品を見てレジに持っていって、ちなみに僕は袋をもらうのも好きではなくて、よっぽででない限り袋はもらわないし近所に買い物に行く時は買い物袋を持参していくんだけど、その商品にいきなり好きでもないシールが貼られてしまったら…なんか僕はいやなんですよね。だって、なっちゃんとか買って飲もうとする時に、あの目のところに未成年犯罪者みたいな目隠しシールがあったらテンション下がるじゃないですか。あと、ノートとかね。これから少なくとも何ヶ月単位で付き合おうっていう代物に「LO●T」とか書かれたシールなんか貼られたくないじゃないですか。そうでなくてもコンビニのシールが張られたままのチョコレートとかもいい気分はしないし、べたっと貼られた所に思いっきり切り口なんかがあったときなんかはもう怒りを通り越して悲しみの境地です。
そんな僕の怒りが頂点に達してしまったのが某書店でのやり取りでした。とある本のバックナンバーを探していた僕は例の本屋にその本が置いてあるのを見つけさっそくレジに持って生きました。
佐藤「あ、袋は結構です」
店員「はい、ではテープで失礼しまーす」
佐藤「あ、いや、紙なのでテープはしないでもらえますか?」
店員「では袋に入れさせていただきますね」
佐藤「いや、この中にすぐ入れますので袋は結構です」
店員「ではお買い上げのお印ですのでテープ張らせていただきます」
佐藤「いや、それはちょっと…じゃあ、レシート挟んでもらえますか?」
店員「はい、ではレシートとテープで失礼しまーす」
佐藤「いや、そうじゃなくて…どうしてもテープか袋が必要なんですか?」
店員「はい、そうです。お印ですので」
佐藤「レシートがあって、あなたが確かに見ているのにそれじゃだめなんですか?」
店員「そうですねえ、決まりですので」
佐藤「じゃあ、レシートにシール貼ってください(半怒)」
店員「それはいいですけど、本体にも貼らせていただきます」
佐藤「…(怒)」
店員「すぐはがれますよ」
佐藤「…責任者、いますか?(憤怒)」
店員「はーい、しょうしょうお待ちくださいね」
今思えば僕は僕で子どもだった気がするんですが、どうしても引き下がることができませんでした。だって、この店員の言ってることが明らかにおかしいんだもん、態度も含めて。しかもこの後、この物語は、けっきょく「シールを本体に貼るか袋に入れた状態でなければ販売することはできない」という売り場責任者の判決により僕の完全敗北という形で幕を閉じたわけです。めったに置いてないバックナンバー、それを手に入れるため僕は甘んじてその不当判決を受け入れたのでした。と、いうほど僕は軟弱ではなく「そうですか、では他をあたります」と言って後ろも振り向かず売り場を後にしたのでした。もちろんその後、そのバックナンバーは手に入っていません。今思えばなんとアホな…という感じですが後悔はしていません。自分が嫌なものは嫌。いくつになってもノーといえる日本人を目指そうと思います。
「…あとではがせばいいんじゃないの?」
そんな声が聞こえてきそうですが確かにその通り。後ではがせばいいんです。別に否定する気はさらさらありません。でも、嫌なのはなぜか?それは、実はあんまりよくわかりません。幼少期にテープに絡まって窒息しかけたとかいうトラウマなんかがあれば話は別なんでしょうが、そういうのもなさそうなのでなんとなくというのが本当のところです。だから相性、性分なんですかね。最近はあまり突っ張らずに、お金を払ったら、ささっと先手を打ってカバンにしまうとかしてささやかな抵抗を見せています。日々成長をモットーに佐藤は今日もコンビニで大人の買い物を心がけています(…大人?)。
福袋考
2005年1月22日2005年も三週間が過ぎ、そろそろお正月気分も抜けてきました。今年も元旦の夜から仕事をしていたのですが、それでもお正月らしくそこそこのんびりした気分を味わうことができました。
さて、正月名物といえばいろいろあるわけですが、最近僕が個人的に注目しているもの、それは福袋です。
誰しも一度は手を伸ばしたことがあるであろう、あの魅惑の福袋。実際、僕も子どものころお正月におもちゃ売り場で福袋を買うのが何より楽しみでした。あの袋に物がたくさん詰まっているお得感というか、わくわく感というか、ともかくあのプチギャンブル感がなんともいえず興奮する要素だったわけです。
その福袋、もちろん今でも正月初売り戦線の最重要アイテムであることに間違いないんだけど、ここ数年じょじょに売り上げが落ちてきているのだという。次第に中身の合計金額が表示されるようになり、商品名が挙げられるようになり、しまいには中身が見えるという掟破りの福袋が登場し、今年はなんと高級百貨店の三越までもがその流れに乗ってしまうという現象が起き、まさに福袋界は波乱、戦国、下克上的時代の様相を見せているわけです。
これを見ていて感じたんだけど、この現象はきっと日本人にとっての「福」という概念が変化したからではないかなと。この、買い物という行為に関して、今までともかく量、お得感を売りにすれば受け入れられていた感覚が今ではまるで通用しない。もうみんな物なんか充分に持っていて、いらない物が増えるくらいなら好きな物を一つずつ選んで買ったほうがいい。つまり、日本の国民にとって物の量的な価値観が質的な価値観を下回った瞬間だったのだと思う。
ちょっと前にも、これと同じように、確かに時代の流れの中で人の価値観の概念が見えた瞬間がありました。それは昔、確か京セラだったと思うんだけれど、相手の顔を見て話しができる携帯電話を開発して大々的に売り出した時でした。
新しいもの好きな僕は、このニュースを聞くとさっそく渋谷でやってる街頭キャンペーンにいって最新式の携帯電話をいじって大喜びしてきたわけです。「ああ、おもしろいなあ」なんて思って、この革新的携帯電話が果たしてどのぐらいの売り上げをあげるものか期待していたんだけど、いつまでたっても売り上げの話題は出てこない。そのうちに店頭でのキャンペーンもなくなり、パンフレットの写真も小さくなり、気がつけば売り場からすっかり姿を消してしまいました。
これは僕にとってけっこう衝撃的なことでした。さらにその後、最軽量をうりにした携帯電話の売り上げが伸びずに店頭から姿を消すという事態が起こったことにより僕の興奮はますます高まっていくわけです。
どういうことかというと、それまですべてが右肩上がり、なにをやっても話題になり、飛ぶように売れていた携帯電話に対して初めてユーザーがノーというリアクションを示した瞬間だったからです。
そもそも人間のコミュニケーションツールとして、文字が生まれ、手紙が発達し、その二つが大きな役割を果たした時代が長く続いてきたんだけれど、そこに科学の力によって革命的変化を与えたのがご存知、グラハム・ベルさんの開発した電話でした。
離れたところにいても人と会話ができる。この神秘の技術に人々は大歓迎の態度を示し、電話はあっという間に人々の生活になくてはならないものとして受け入れられていきました。その後、時を経て登場した携帯電話で移動しながらでも会話が可能になり、個人の動く範囲がすなわち会話の範囲として拡大し、これも大賞賛をもって受け入れられ、今や一人一台は当たり前のものとなりました。
さらに、メール機能、バッテリーの機能向上、軽量化とやることなすことすべてに惜しみない拍手が与えられてきた携帯電話。果てしなく利便化していくかに見えたこのツールですが「離れたところにいても人の顔を見ながら話ができる」「100グラムをきるほどの軽量化に成功」というところで、ユーザーは初めて拒否の反応を示したわけです。後者は単純に使いずらいっていうことだったと思うんだけど、前者に関しては人と人のコミュニケーションの概念にこの新要素を入れることに、みんなが疑問を持った瞬間だったのではないかと思います。離れたところで、自分の移動してるところで、相手の肉声が聞こえて、、、顔が見えて、、、いや、それはなんか違わないか?って。
この福袋と携帯電話の話はちょっと性格が違うかもしれないけど、どちらも人が流されがちな「便利」とか「裕福」とかっていういわゆる「欲望」の概念に人が自ら線を引いた瞬間だったと思うわけです。これ、僕は個人的にちょっとおもしろかったというか嬉しかったというか。なんか、やっぱり人間には人間としての本能がちゃんとあって、いくら外界から人工的な快楽や豊かさを注入しようとしても、そこには限界ラインがあって、許容量以上のものにはちゃんと拒否反応が出るんだなあって。
かくゆう僕もさっき言ったように新しい電子機器とか大好きだし、デザインや技術なんかが向上していくことに対してはまったく異論はありません。ただ、その中でも人間らしさというか、人間だけが持っている生っぽさ、熱っぽさといったものを大切にしていきたいし、本当の楽しさや嬉しさっていうのは結局そこにしかないような気がしています。あくまで、ツールはツールであって、それがいつの間にかそれ自身に食われてしまうような、そんなことにならないように気をつけいきたいななんて、そんなことを思っています。
さて、正月名物といえばいろいろあるわけですが、最近僕が個人的に注目しているもの、それは福袋です。
誰しも一度は手を伸ばしたことがあるであろう、あの魅惑の福袋。実際、僕も子どものころお正月におもちゃ売り場で福袋を買うのが何より楽しみでした。あの袋に物がたくさん詰まっているお得感というか、わくわく感というか、ともかくあのプチギャンブル感がなんともいえず興奮する要素だったわけです。
その福袋、もちろん今でも正月初売り戦線の最重要アイテムであることに間違いないんだけど、ここ数年じょじょに売り上げが落ちてきているのだという。次第に中身の合計金額が表示されるようになり、商品名が挙げられるようになり、しまいには中身が見えるという掟破りの福袋が登場し、今年はなんと高級百貨店の三越までもがその流れに乗ってしまうという現象が起き、まさに福袋界は波乱、戦国、下克上的時代の様相を見せているわけです。
これを見ていて感じたんだけど、この現象はきっと日本人にとっての「福」という概念が変化したからではないかなと。この、買い物という行為に関して、今までともかく量、お得感を売りにすれば受け入れられていた感覚が今ではまるで通用しない。もうみんな物なんか充分に持っていて、いらない物が増えるくらいなら好きな物を一つずつ選んで買ったほうがいい。つまり、日本の国民にとって物の量的な価値観が質的な価値観を下回った瞬間だったのだと思う。
ちょっと前にも、これと同じように、確かに時代の流れの中で人の価値観の概念が見えた瞬間がありました。それは昔、確か京セラだったと思うんだけれど、相手の顔を見て話しができる携帯電話を開発して大々的に売り出した時でした。
新しいもの好きな僕は、このニュースを聞くとさっそく渋谷でやってる街頭キャンペーンにいって最新式の携帯電話をいじって大喜びしてきたわけです。「ああ、おもしろいなあ」なんて思って、この革新的携帯電話が果たしてどのぐらいの売り上げをあげるものか期待していたんだけど、いつまでたっても売り上げの話題は出てこない。そのうちに店頭でのキャンペーンもなくなり、パンフレットの写真も小さくなり、気がつけば売り場からすっかり姿を消してしまいました。
これは僕にとってけっこう衝撃的なことでした。さらにその後、最軽量をうりにした携帯電話の売り上げが伸びずに店頭から姿を消すという事態が起こったことにより僕の興奮はますます高まっていくわけです。
どういうことかというと、それまですべてが右肩上がり、なにをやっても話題になり、飛ぶように売れていた携帯電話に対して初めてユーザーがノーというリアクションを示した瞬間だったからです。
そもそも人間のコミュニケーションツールとして、文字が生まれ、手紙が発達し、その二つが大きな役割を果たした時代が長く続いてきたんだけれど、そこに科学の力によって革命的変化を与えたのがご存知、グラハム・ベルさんの開発した電話でした。
離れたところにいても人と会話ができる。この神秘の技術に人々は大歓迎の態度を示し、電話はあっという間に人々の生活になくてはならないものとして受け入れられていきました。その後、時を経て登場した携帯電話で移動しながらでも会話が可能になり、個人の動く範囲がすなわち会話の範囲として拡大し、これも大賞賛をもって受け入れられ、今や一人一台は当たり前のものとなりました。
さらに、メール機能、バッテリーの機能向上、軽量化とやることなすことすべてに惜しみない拍手が与えられてきた携帯電話。果てしなく利便化していくかに見えたこのツールですが「離れたところにいても人の顔を見ながら話ができる」「100グラムをきるほどの軽量化に成功」というところで、ユーザーは初めて拒否の反応を示したわけです。後者は単純に使いずらいっていうことだったと思うんだけど、前者に関しては人と人のコミュニケーションの概念にこの新要素を入れることに、みんなが疑問を持った瞬間だったのではないかと思います。離れたところで、自分の移動してるところで、相手の肉声が聞こえて、、、顔が見えて、、、いや、それはなんか違わないか?って。
この福袋と携帯電話の話はちょっと性格が違うかもしれないけど、どちらも人が流されがちな「便利」とか「裕福」とかっていういわゆる「欲望」の概念に人が自ら線を引いた瞬間だったと思うわけです。これ、僕は個人的にちょっとおもしろかったというか嬉しかったというか。なんか、やっぱり人間には人間としての本能がちゃんとあって、いくら外界から人工的な快楽や豊かさを注入しようとしても、そこには限界ラインがあって、許容量以上のものにはちゃんと拒否反応が出るんだなあって。
かくゆう僕もさっき言ったように新しい電子機器とか大好きだし、デザインや技術なんかが向上していくことに対してはまったく異論はありません。ただ、その中でも人間らしさというか、人間だけが持っている生っぽさ、熱っぽさといったものを大切にしていきたいし、本当の楽しさや嬉しさっていうのは結局そこにしかないような気がしています。あくまで、ツールはツールであって、それがいつの間にかそれ自身に食われてしまうような、そんなことにならないように気をつけいきたいななんて、そんなことを思っています。
正しい手裏剣の飛ばし方
2005年1月21日忍者に憧れた時期がありました。
もうのっけからため息の出るような日記ですが、小学校から高校くらいまでの間、時々突発的に忍者に憧れてどうすればこの近代国家20世紀日本において忍者になれるか真剣に考えたことがありました。
なぜ僕は忍者に憧れるようになったか。きっかけは当時放送されていた忍者ハットリ君のアニメを見たから。…と言えば、まあわからないこともないかもしれないですが、実は当時愛読していた「薬用植物百貨事典」に触発されたというのが本当のところでした。
僕は子どものころからどこにいっても運動神経ゼロというレッテルを貼られてしまうほど運動が苦手な子どもで、別に特別インドワ志向だったわけではないんだけれど、ともかくドのつく運動音痴でした。なので、体の機敏さを生かした職業としての忍者に憧れたわけではなく、どちらかというと忍びの術を用いて巧みに世を生き抜くみたいな、いわゆる闇のインテリヒーロー的なところに憧れを持ったわけです。
まあ、といっても本気で「もう僕の未来は忍者しかない」とか考えたわけではなくて、ちょっと日光江戸村や伊賀の里なんかで職業忍者としての需要があるなんてことを調べてどきどきしていた程度でした。じゃあ忍者に憧れた佐藤少年は実際に何をしていたのかというとお風呂で水団の術を試みて失敗して溺れかけたり、麻越えの鍛錬をしようとして、でも麻なんか容易に手に入らないから、毎日一部ずつ四つ折の新聞紙を積み重ねていって、その上をジャンプで飛び越える。で、すぐに限界が来て山積みの新聞に躓いて転び、ひざをすりむき半泣きになる、散乱した新聞紙を半泣きのまま片付ける、みたいな感じで可愛らしい子どもの一人遊びの域を出ないままあっさり終結していったわけです。
その他にも、例の百科事典を参考に怪しげな忍者食なんかを作ろうと試みたりしましたが、いずれも人間はおろか世のいかなる生命体にとって決して栄養とはなり得ないであろう物体が完成し、自作の手甲、水蜘蛛、マキビシも実用のめどが立たず、ついに独学での修行を断念。ひたすら当時習っていた剣道と書道の稽古に精を出したわけです。でも、今考えれば剣道と書道の稽古に打ち込むあたり、忍者に憧れる土壌は充分にあったのかもしれません。さらに言えば当時その他に熱を入れていたのは将棋、相撲観戦、大河ドラマ鑑賞、シソの栽培…う〜ん、いじめの対象になってもおかしくなさそうな子どもだなあ。
時は現代に戻って、最近論文執筆のために「日本人の伝統文化」という本を読んでいたんだけど、その中に「忍術」というコーナーを発見してしまいました。その中に手裏剣の投げ方が書いてあったんだけど、ふと「そういえば忍者ハットリ君のあの片ひざをついて右手で払い上げるような投げ方は実際のところありなんだろうか」と考え、次の瞬間にはパソコンの電源を入れていました。
さっき忍者ハットリ君に触発されたわけではないと書きましたが、もちろん僕もハットリ君のアニメは見ていました。その中でハットリ君が使う主要忍術といったら間違いなくあの手裏剣でしょう。そこで一つ思うこと、同じことを考えて実践し疑問を抱いた人も実は多いのではないかと思うんですが、あのハットリ君が手裏剣を投げるフォームは果たして実際に使用できるのか?と。
映像を見る限り、ハットリ君は左の手のひらに乗せた手裏剣を右手で払い上げるようにして連続発射しています。でも、使ってる手裏剣は放射線状に刃のついてる平型の手裏剣だからそんな投げ方をしたらうまく飛ばすのは至難の業だし、むしろ手の平を傷つける可能性が極めて高いのではないか。もしも殺傷能力を高めるために刃先に毒なんか塗ってあったら…いくらハットリ君がエリート忍者とはいえ悲劇の予感がぷんぷんです。ではいったいどうやっているのか?
世の中にはいろんなこだわりを持っている人がいて、いろんな団体があるわけですが、検索一発目で見つけてしまったのは「手裏剣普及協会・国際スポーツ手裏剣協会」。これはもう説明を加えるときりがなくなるので割愛します。興味のある方は覗いてみてください。結構感動できるはずです。
いい加減、長くなってしまってしまいました。手裏剣、忍者というテーマでここまで熱くなっている自分にびっくりしています。そろそろ論旨が不明になってきたので結論から言うと、ハットリ君の投げ方は、車剣という手裏剣を急回転打法で逆投げにして放つ飛ばし方と推測され、推奨射程距離は約3メートルです。で、これが正しい手裏剣の飛ばし方かというと、もちろんこれだけではなく持ち方、飛ばし方、フォーム、角度のつけ方、各種の技、流派などを組み合わせると相当な方法があるみたいです。
何事も奥が深いのですね。
手裏剣一つとってこれだから、忍術全体を極めるのにはそうとうの時間と気力が必要なのでしょう。どんなことでも一つの事柄を極めるのは大変です。忍術に憧れ、薬剤師に憧れ、将棋のプロ棋士に憧れた少年は、それでも今の専門にたどり着いて、さらにそれを極めんと日々努力しているわけです。さて、僕もそろそろ専門に戻って道を極めるべく今日も勉強に励もうと思います。どんな未来が待っているのか。にんともかんとも。にんにん。
もうのっけからため息の出るような日記ですが、小学校から高校くらいまでの間、時々突発的に忍者に憧れてどうすればこの近代国家20世紀日本において忍者になれるか真剣に考えたことがありました。
なぜ僕は忍者に憧れるようになったか。きっかけは当時放送されていた忍者ハットリ君のアニメを見たから。…と言えば、まあわからないこともないかもしれないですが、実は当時愛読していた「薬用植物百貨事典」に触発されたというのが本当のところでした。
僕は子どものころからどこにいっても運動神経ゼロというレッテルを貼られてしまうほど運動が苦手な子どもで、別に特別インドワ志向だったわけではないんだけれど、ともかくドのつく運動音痴でした。なので、体の機敏さを生かした職業としての忍者に憧れたわけではなく、どちらかというと忍びの術を用いて巧みに世を生き抜くみたいな、いわゆる闇のインテリヒーロー的なところに憧れを持ったわけです。
まあ、といっても本気で「もう僕の未来は忍者しかない」とか考えたわけではなくて、ちょっと日光江戸村や伊賀の里なんかで職業忍者としての需要があるなんてことを調べてどきどきしていた程度でした。じゃあ忍者に憧れた佐藤少年は実際に何をしていたのかというとお風呂で水団の術を試みて失敗して溺れかけたり、麻越えの鍛錬をしようとして、でも麻なんか容易に手に入らないから、毎日一部ずつ四つ折の新聞紙を積み重ねていって、その上をジャンプで飛び越える。で、すぐに限界が来て山積みの新聞に躓いて転び、ひざをすりむき半泣きになる、散乱した新聞紙を半泣きのまま片付ける、みたいな感じで可愛らしい子どもの一人遊びの域を出ないままあっさり終結していったわけです。
その他にも、例の百科事典を参考に怪しげな忍者食なんかを作ろうと試みたりしましたが、いずれも人間はおろか世のいかなる生命体にとって決して栄養とはなり得ないであろう物体が完成し、自作の手甲、水蜘蛛、マキビシも実用のめどが立たず、ついに独学での修行を断念。ひたすら当時習っていた剣道と書道の稽古に精を出したわけです。でも、今考えれば剣道と書道の稽古に打ち込むあたり、忍者に憧れる土壌は充分にあったのかもしれません。さらに言えば当時その他に熱を入れていたのは将棋、相撲観戦、大河ドラマ鑑賞、シソの栽培…う〜ん、いじめの対象になってもおかしくなさそうな子どもだなあ。
時は現代に戻って、最近論文執筆のために「日本人の伝統文化」という本を読んでいたんだけど、その中に「忍術」というコーナーを発見してしまいました。その中に手裏剣の投げ方が書いてあったんだけど、ふと「そういえば忍者ハットリ君のあの片ひざをついて右手で払い上げるような投げ方は実際のところありなんだろうか」と考え、次の瞬間にはパソコンの電源を入れていました。
さっき忍者ハットリ君に触発されたわけではないと書きましたが、もちろん僕もハットリ君のアニメは見ていました。その中でハットリ君が使う主要忍術といったら間違いなくあの手裏剣でしょう。そこで一つ思うこと、同じことを考えて実践し疑問を抱いた人も実は多いのではないかと思うんですが、あのハットリ君が手裏剣を投げるフォームは果たして実際に使用できるのか?と。
映像を見る限り、ハットリ君は左の手のひらに乗せた手裏剣を右手で払い上げるようにして連続発射しています。でも、使ってる手裏剣は放射線状に刃のついてる平型の手裏剣だからそんな投げ方をしたらうまく飛ばすのは至難の業だし、むしろ手の平を傷つける可能性が極めて高いのではないか。もしも殺傷能力を高めるために刃先に毒なんか塗ってあったら…いくらハットリ君がエリート忍者とはいえ悲劇の予感がぷんぷんです。ではいったいどうやっているのか?
世の中にはいろんなこだわりを持っている人がいて、いろんな団体があるわけですが、検索一発目で見つけてしまったのは「手裏剣普及協会・国際スポーツ手裏剣協会」。これはもう説明を加えるときりがなくなるので割愛します。興味のある方は覗いてみてください。結構感動できるはずです。
いい加減、長くなってしまってしまいました。手裏剣、忍者というテーマでここまで熱くなっている自分にびっくりしています。そろそろ論旨が不明になってきたので結論から言うと、ハットリ君の投げ方は、車剣という手裏剣を急回転打法で逆投げにして放つ飛ばし方と推測され、推奨射程距離は約3メートルです。で、これが正しい手裏剣の飛ばし方かというと、もちろんこれだけではなく持ち方、飛ばし方、フォーム、角度のつけ方、各種の技、流派などを組み合わせると相当な方法があるみたいです。
何事も奥が深いのですね。
手裏剣一つとってこれだから、忍術全体を極めるのにはそうとうの時間と気力が必要なのでしょう。どんなことでも一つの事柄を極めるのは大変です。忍術に憧れ、薬剤師に憧れ、将棋のプロ棋士に憧れた少年は、それでも今の専門にたどり着いて、さらにそれを極めんと日々努力しているわけです。さて、僕もそろそろ専門に戻って道を極めるべく今日も勉強に励もうと思います。どんな未来が待っているのか。にんともかんとも。にんにん。
つめ切りに寄せる思い
2005年1月20日僕は自分用のつめ切りを3つ持っています。これは別に用途別にしてあるのではなくて、置く場所を3箇所設けているだけなんですが、僕はよく爪を切ります。今は必ずしもそうではないですが、少し前までは毎日必ず爪を切るのが習慣でした。
「毎日?そんなにつめって伸びるの?」
つめの伸びる速さは、大人の場合で1日0.08〜0.12mmといわれていて、つめ1枚が生え変わるのには、手のつめで約半年、足のつめだと1年弱といわれています。もちろん毎日すべての指のつめを切っているわけではないんだけれど、なんかもう切るというよりは削るみたいな感じは否めません。ゴミ箱の前でひざをついて正座し、音楽をかけながら無心でぷちぷちぷちぷちやっている深夜十二時の佐藤がそこにいます。
そもそも、僕のこの習慣化されたつめ切りは中学1年生の時に始まりました。忘れもしない中学に入って初めての期末試験初日のこと、珍しく夏風邪気味だった僕は登校前に一服の風邪薬を飲んでから出かけたのでした。
当時、風邪はもとよりほとんど病気をしなかった僕は薬というものに縁がなく、数年に一度口にするか、あるいはしないかという典型的な健康優良児でした。そんな僕は、今ではずいぶん改善されて「眠くならない」なんていう宣伝文句がパッケージに出ているものも少なくないですが、風邪薬に睡眠誘発作用があるということをまったく知りませんでした。おまけに薬を飲みなれていない僕には思いっきりその効果が出てしまい、試験が始まるころにはすっかりトリップ状態になっていたのでした。
後日、答案が返却されましたが結果はもちろん最悪でした。しかも当日の謎のトリップ現象が服用した風邪薬にあったことを知った僕の乱れっぷりは甚だしく、まだ削っていない未使用の鉛筆一ダース全部を小刀で半日かけて寸分の狂いもないほどきれいに削るなどの奇行におよび、家人を心配させたのでした。
その後、しばらくして落ち着きを取り戻した佐藤少年は、この苦痛を健康的に和らげるためには何をすべきか考え始めました。そんな時、居間で大相撲中継を見ていた彼の耳に力士のゲン担ぎの話題が入ってきました。
内容は忘れてしまったのですが、力士がおこなうゲン担ぎ、例えば負けたらそれまで伸ばしていた髭を剃るとか、玄関を出るときには必ず左足から出るとかそういうことだったと思います。ふ〜ん、なんてぼんやり見ていた佐藤少年がふと目をやると、目の前には伸びに伸びた手の指のつめがあったのでした。
「ああ、つめ伸びたなあ、、つめ、、爪、、詰め、、そういえば今回の試験も、、、詰めが、、、甘かった、、、ような、、、」
ここまで書けば後のお話を書く必要はないでしょう。それから十余年、佐藤のつめ切りは今夜も順調に行われています。おかげさまで中学、高校の衛生検査では常に模範生徒に選ばれ、最近ではギターを弾くのにも適していていい感じです。ちなみに、そのゲン担ぎをはじめてから成績が上がったかというと、たかがつめ切りの禊ごときで成績が上がるほど世の中は甘くはなく、むしろその直後に父の仕事の都合で転校した僕は、すべての教科書が変わったことや環境の変化に対応できず、成績はどん底、友人関係は最悪という更なる苦難の時を迎えるのでした。
それでも毎晩泣きながらつめを切り続けた僕は(悲しい…)その後、五年の時を経て志望する国立大学に入るんだからあながち効果がなかったともいえないかなあ。さらに切り続けて今、僕は大学院まできてしまいました。信ずるものは救われる、今日の落ちはこんなとことろでよろしいでしょうかね。今夜もつめを切りながら未来を夢見て一呼吸。明日もいい日になりますように。
「毎日?そんなにつめって伸びるの?」
つめの伸びる速さは、大人の場合で1日0.08〜0.12mmといわれていて、つめ1枚が生え変わるのには、手のつめで約半年、足のつめだと1年弱といわれています。もちろん毎日すべての指のつめを切っているわけではないんだけれど、なんかもう切るというよりは削るみたいな感じは否めません。ゴミ箱の前でひざをついて正座し、音楽をかけながら無心でぷちぷちぷちぷちやっている深夜十二時の佐藤がそこにいます。
そもそも、僕のこの習慣化されたつめ切りは中学1年生の時に始まりました。忘れもしない中学に入って初めての期末試験初日のこと、珍しく夏風邪気味だった僕は登校前に一服の風邪薬を飲んでから出かけたのでした。
当時、風邪はもとよりほとんど病気をしなかった僕は薬というものに縁がなく、数年に一度口にするか、あるいはしないかという典型的な健康優良児でした。そんな僕は、今ではずいぶん改善されて「眠くならない」なんていう宣伝文句がパッケージに出ているものも少なくないですが、風邪薬に睡眠誘発作用があるということをまったく知りませんでした。おまけに薬を飲みなれていない僕には思いっきりその効果が出てしまい、試験が始まるころにはすっかりトリップ状態になっていたのでした。
後日、答案が返却されましたが結果はもちろん最悪でした。しかも当日の謎のトリップ現象が服用した風邪薬にあったことを知った僕の乱れっぷりは甚だしく、まだ削っていない未使用の鉛筆一ダース全部を小刀で半日かけて寸分の狂いもないほどきれいに削るなどの奇行におよび、家人を心配させたのでした。
その後、しばらくして落ち着きを取り戻した佐藤少年は、この苦痛を健康的に和らげるためには何をすべきか考え始めました。そんな時、居間で大相撲中継を見ていた彼の耳に力士のゲン担ぎの話題が入ってきました。
内容は忘れてしまったのですが、力士がおこなうゲン担ぎ、例えば負けたらそれまで伸ばしていた髭を剃るとか、玄関を出るときには必ず左足から出るとかそういうことだったと思います。ふ〜ん、なんてぼんやり見ていた佐藤少年がふと目をやると、目の前には伸びに伸びた手の指のつめがあったのでした。
「ああ、つめ伸びたなあ、、つめ、、爪、、詰め、、そういえば今回の試験も、、、詰めが、、、甘かった、、、ような、、、」
ここまで書けば後のお話を書く必要はないでしょう。それから十余年、佐藤のつめ切りは今夜も順調に行われています。おかげさまで中学、高校の衛生検査では常に模範生徒に選ばれ、最近ではギターを弾くのにも適していていい感じです。ちなみに、そのゲン担ぎをはじめてから成績が上がったかというと、たかがつめ切りの禊ごときで成績が上がるほど世の中は甘くはなく、むしろその直後に父の仕事の都合で転校した僕は、すべての教科書が変わったことや環境の変化に対応できず、成績はどん底、友人関係は最悪という更なる苦難の時を迎えるのでした。
それでも毎晩泣きながらつめを切り続けた僕は(悲しい…)その後、五年の時を経て志望する国立大学に入るんだからあながち効果がなかったともいえないかなあ。さらに切り続けて今、僕は大学院まできてしまいました。信ずるものは救われる、今日の落ちはこんなとことろでよろしいでしょうかね。今夜もつめを切りながら未来を夢見て一呼吸。明日もいい日になりますように。
清宮日記
2005年1月13日ついに清宮日記が始まりましたね。冒頭で、私は強烈なインパクトを持ったキャラではないなんて、とんだ謙遜をされていますがメンバーの僕も楽しみに読んでいこうと思います。
どうやら、競馬予想が主になるのかな。僕の競馬知識はダビスタ止まりなのですが、それでも彼の連載が楽しみです。彼ならきっと黒字決算で決めてくれるでしょう。ちなみに佐藤家には代々勝負師としての才能がまるでなく、それを悟ってか父も祖父も僕も俗に賭け事とよばれるものにまったく縁がありません。やっても絶対勝ちません。なんか体の第六感でそれをびしばし感じるんですよね。転じて人生にも同じことが言える気がします、一発逆転とかサヨナラホームランとかありえない気がします。逆は…う〜ん、、ありえんとも言えないかなあ。せいぜい図に乗らないように気をつけて日々すごしていこうと思います。
そんなこんなで清宮も日記を始めたわけですが、僕のほうは一足お先に公開日記5日目です。ただ僕の日記は、家でつけてる日記でもそうなのですが別に毎日きちんと日々のできごとを記録しているわけではなくて、その日に考えたこと、思ったこと、思いついたこと、あるいは気が向いた時は絵なんか描いたり自由に書いています。一見、日記なのか自由帳なのか備忘録なのかわからない好き勝手日記です。ここでもそんな感じですね。自分の感じたままに分量も内容も規定しないで書いていこうと思います。誤読歓迎、見ずに通り過ぎるのもまたよし。読み手にも書き手にも自由な日記となりますように。清宮と同じく、自由に目を通してもらえれば、勝手に楽しんでいただければ幸いです。バンド活動ともども、よろしくお願いします。
では今宵はこれまで。おやすみなさい。
どうやら、競馬予想が主になるのかな。僕の競馬知識はダビスタ止まりなのですが、それでも彼の連載が楽しみです。彼ならきっと黒字決算で決めてくれるでしょう。ちなみに佐藤家には代々勝負師としての才能がまるでなく、それを悟ってか父も祖父も僕も俗に賭け事とよばれるものにまったく縁がありません。やっても絶対勝ちません。なんか体の第六感でそれをびしばし感じるんですよね。転じて人生にも同じことが言える気がします、一発逆転とかサヨナラホームランとかありえない気がします。逆は…う〜ん、、ありえんとも言えないかなあ。せいぜい図に乗らないように気をつけて日々すごしていこうと思います。
そんなこんなで清宮も日記を始めたわけですが、僕のほうは一足お先に公開日記5日目です。ただ僕の日記は、家でつけてる日記でもそうなのですが別に毎日きちんと日々のできごとを記録しているわけではなくて、その日に考えたこと、思ったこと、思いついたこと、あるいは気が向いた時は絵なんか描いたり自由に書いています。一見、日記なのか自由帳なのか備忘録なのかわからない好き勝手日記です。ここでもそんな感じですね。自分の感じたままに分量も内容も規定しないで書いていこうと思います。誤読歓迎、見ずに通り過ぎるのもまたよし。読み手にも書き手にも自由な日記となりますように。清宮と同じく、自由に目を通してもらえれば、勝手に楽しんでいただければ幸いです。バンド活動ともども、よろしくお願いします。
では今宵はこれまで。おやすみなさい。
オレンジジュースとミルクの関係
2005年1月12日飲み物を作るのが好きです。
といってもカクテルの話しではなく主にジュースとお茶の話しです。机に向かって作業をすることが多いため机の上には必ず何かしらの飲み物を用意しておきます。主に夜中はポットに熱めのお湯をたくさん入れて、きゅうすに入れたお茶っ葉が出なくなるまでお茶や紅茶を飲んだり、ホットミルクを作って飲んだりすることが多いです。昼間や朝にはレモンジュースやバナナジュース、グレープフルーツジュース、冬には梅生姜湯など、さくさくごりごりやりながら、せっせせっせと作って楽しんでいます。
お茶やコーヒーも大好きで、けっこうまめに紅茶や豆を買ってきます。お店に行って飲むのも好きですが、家で作って飲むのがまた違った感じで大好きです。ちなみにさっき夜中にお茶や紅茶を飲むと書きましたが、基本的にはあまり夜でもカフェインを気にしません。何杯飲んでも羊を数えればぐっすりです(笑)。
で、タイトルのオレンジジュースとミルクというのは何かというと、気持ちを落ちつけたい時や、のんびりしたい時なんかに僕が最近好んで飲む飲み物です。今も飲みながらこれを書いています。
オレンジジュースとミルク(牛乳)・・・なんか、すごく相性が悪そうな感じですが、実際僕もこの二つをミックスしてみようなんていうことは最近まで考えもしませんでした。きっかけは某有名バンドの曲の一節「オレンジジュースとミルク混ぜながらつぶやいた」という歌詞を聞いたこと(このバンドが好きな人は何の曲か一目瞭然ですね)。聴いた瞬間は「えええ、ほんとに?」と思ったんですが、僕の好きな作家の五木寛之がエッセイの中で「パイプくわえて口笛吹けば」という流行歌の歌詞を見て、散々「そんなのできるか」と友達と話していたのを、ある日、はてと思って試してみたら、なんと吹けた!という話を書いていたのを思い出し、恐る恐る3対1くらいに割ってみました。
果たして、不気味な淡い夕焼け色の液体ができあがりました。しかもオレンジジュースとミルクは完全に混ざりきらず、ミルクの白い成分が粉っぽく浮上したり沈降したりを繰り返しながらたゆたっています。
…まずそう。
捨てるのももったいないので恐る恐る口をつけてみると…んん、、なんだろう。なんか不思議な感じだけど飲めない味じゃない。さらに飲み続けると、まろやかで甘い感じが伝わってきて悪くない。なんか、落ち着く味だ。以来、そんな感じでちょくちょく作っては飲んでいます。ちなみに、その他にもグレープフルーツ、パイナップル、グレープ、ピーチなどで同じようにミルクと割って試してみましたが、すべて悪くないです。でも僕の中ではオレンジとミルクが一番でこればっかり作ってます。お茶やホットミルクなんかでも落ち着くんですが、冷たい飲み物でここまで落ち着くもの、なんというか、少しづつ静かに落ち着いていく感じになるのはこれだけです。ちょっと意外な組み合わせで、人によっては好き好きがあるかもしれないけど僕の好きな味です。料理でも飲み物でも自分で作るっていうのは楽しいし、市販のものにはない自分にしっくりくる感じを見つけたときなんかはすごく嬉しいですね。手作り万歳。これからまたどんな飲み物ができていくのか楽しみです。次は炭酸系の刺激のあるやつを作れないか考えている今日この頃。もちろんノンアルコール。お酒は今のところ市販品で満足です♪
さて、ちなみにいま例の心落ち着くオレンジとミルクの飲み物を飲んでいるのはなぜかというと、別にいやなことがあったわけではなくて明日までに仕上げなくてはいけない書き物があるからなのでした。ただ今、子ども用の演劇の台本を執筆中です。しかも、今週の土曜日にはその台本を使った稽古が待っているという…はああ、不安だ。そして、この日記は軽い現実逃避になっている気がします。ああ、いかんいかん。そろそろ現実との戦いに戻るべく筆を置きます。ちょうどグラスが空になったので台所で二杯目を作りつつ。
おやすみなさい。あと2時間後には寝られますように・・・
といってもカクテルの話しではなく主にジュースとお茶の話しです。机に向かって作業をすることが多いため机の上には必ず何かしらの飲み物を用意しておきます。主に夜中はポットに熱めのお湯をたくさん入れて、きゅうすに入れたお茶っ葉が出なくなるまでお茶や紅茶を飲んだり、ホットミルクを作って飲んだりすることが多いです。昼間や朝にはレモンジュースやバナナジュース、グレープフルーツジュース、冬には梅生姜湯など、さくさくごりごりやりながら、せっせせっせと作って楽しんでいます。
お茶やコーヒーも大好きで、けっこうまめに紅茶や豆を買ってきます。お店に行って飲むのも好きですが、家で作って飲むのがまた違った感じで大好きです。ちなみにさっき夜中にお茶や紅茶を飲むと書きましたが、基本的にはあまり夜でもカフェインを気にしません。何杯飲んでも羊を数えればぐっすりです(笑)。
で、タイトルのオレンジジュースとミルクというのは何かというと、気持ちを落ちつけたい時や、のんびりしたい時なんかに僕が最近好んで飲む飲み物です。今も飲みながらこれを書いています。
オレンジジュースとミルク(牛乳)・・・なんか、すごく相性が悪そうな感じですが、実際僕もこの二つをミックスしてみようなんていうことは最近まで考えもしませんでした。きっかけは某有名バンドの曲の一節「オレンジジュースとミルク混ぜながらつぶやいた」という歌詞を聞いたこと(このバンドが好きな人は何の曲か一目瞭然ですね)。聴いた瞬間は「えええ、ほんとに?」と思ったんですが、僕の好きな作家の五木寛之がエッセイの中で「パイプくわえて口笛吹けば」という流行歌の歌詞を見て、散々「そんなのできるか」と友達と話していたのを、ある日、はてと思って試してみたら、なんと吹けた!という話を書いていたのを思い出し、恐る恐る3対1くらいに割ってみました。
果たして、不気味な淡い夕焼け色の液体ができあがりました。しかもオレンジジュースとミルクは完全に混ざりきらず、ミルクの白い成分が粉っぽく浮上したり沈降したりを繰り返しながらたゆたっています。
…まずそう。
捨てるのももったいないので恐る恐る口をつけてみると…んん、、なんだろう。なんか不思議な感じだけど飲めない味じゃない。さらに飲み続けると、まろやかで甘い感じが伝わってきて悪くない。なんか、落ち着く味だ。以来、そんな感じでちょくちょく作っては飲んでいます。ちなみに、その他にもグレープフルーツ、パイナップル、グレープ、ピーチなどで同じようにミルクと割って試してみましたが、すべて悪くないです。でも僕の中ではオレンジとミルクが一番でこればっかり作ってます。お茶やホットミルクなんかでも落ち着くんですが、冷たい飲み物でここまで落ち着くもの、なんというか、少しづつ静かに落ち着いていく感じになるのはこれだけです。ちょっと意外な組み合わせで、人によっては好き好きがあるかもしれないけど僕の好きな味です。料理でも飲み物でも自分で作るっていうのは楽しいし、市販のものにはない自分にしっくりくる感じを見つけたときなんかはすごく嬉しいですね。手作り万歳。これからまたどんな飲み物ができていくのか楽しみです。次は炭酸系の刺激のあるやつを作れないか考えている今日この頃。もちろんノンアルコール。お酒は今のところ市販品で満足です♪
さて、ちなみにいま例の心落ち着くオレンジとミルクの飲み物を飲んでいるのはなぜかというと、別にいやなことがあったわけではなくて明日までに仕上げなくてはいけない書き物があるからなのでした。ただ今、子ども用の演劇の台本を執筆中です。しかも、今週の土曜日にはその台本を使った稽古が待っているという…はああ、不安だ。そして、この日記は軽い現実逃避になっている気がします。ああ、いかんいかん。そろそろ現実との戦いに戻るべく筆を置きます。ちょうどグラスが空になったので台所で二杯目を作りつつ。
おやすみなさい。あと2時間後には寝られますように・・・
羊を数えて今夜も眠ろう
2005年1月11日僕は基本的に寝つきがよくて、前の晩いくら寝ていても眠れないことはほとんどないという幸せな性格です。毎晩ふとんに入って2時間も寝られないとか、枕が変わると眠れないとかいう話を聞くと、ああ、大変だなあって思ってしまいます。2時間横になるのと30分でも眠るのってぜんぜん違うじゃないですか。睡眠不足が何より嫌いな僕にとってはまさに地獄みたいな話です。
そんな僕ですが、実は一時期不眠症じゃないんだけど寝付けなくなった時があってちょっと苦しんだ時期がありました。小学校高学年くらいの時、夜ふとんに入ってから寝ないで考え事にふけるのがマイブームな時期があって(暗い…)でも当然眠いから不自然な体勢でいつの間にか眠ってしまって、朝になればありえないような寝違えりに苦しむ、でも晩はまたこりずに思索にふける、みたいな生活を送っていました。
子どものころから夜更かしの習慣がまったくなかったので、最初は10分持たずに眠ってしまったのが、日々の訓練(?)によってしだいに20分、30分と起きていられるようになり、しまいにはキャンディーとかふとんの中に持ち込んで夜のひと時をさらに堪能するようになり、いつしか逆に横になっても1時間くらい眠れない体になってしまいました。
当初はなんか大人気分で楽しんでいたのですが、一週間もするころには苦痛に耐えられなくなり、なんとか体を元に戻そう!ということであっさり降参しリハビリを開始しました。お風呂に長めに入ったり、あったかい飲み物を飲んだりしたんだけど、特訓でしみ込んだこの体質はなかなか改善されず、いよいよ困って母に助言を求めたところ、帰ってきた答えは「羊の数を数える」というおよそ20世紀末とは思えない非科学的戦法だったわけです。
でもなんか、そのあまりの胡散臭さぶりが佐藤少年に妙な納得を与え、その晩から今度はせっせせっせと羊を数えだしました。さて、長々書いていよいよ羊が登場しましたが、結論から言うと初日にして早くも佐藤牧場の羊は4桁を突破してしまい憤慨のあまりふとんを噛みながら煩悶呻吟。さらに苦痛の夜をすごしたわけです。
それでも3日くらい頑張ってみたのですが、どうにも羊のカウント中に眠ることができず、自分の行ったムダな努力にたいして憤慨し、一人ふとんの中で大騒ぎして疲れ果てて寝る、見たいな状態になり「羊を数えて今夜も眠ろう大作戦」は一週間もたたないうちにあっさり却下になったのでした。
この羊を数えるという睡眠法、知名度の割にはいまひとつ効果がないように思っていたんだけど、実はこれ英語圏から入ってきたおまじないらしく、羊の「シープ(Sheep)」と、睡眠の「スリープ(Sleep)」の言葉が、英語を母国語とする人にとって、眠りを連想させるというのがもともとなんだとか。そういえば日本に羊が入ってきたのは明治以降の話らしいし、今でもあんまり身近な存在とはいえない動物という気がする。なるほどなあ。そんなわけで「僕羊年生まれだし、羊を数えて寝ちゃうなんてちょっといいな…」なんて考えていた夢想少年の夢は破れ、地道に体を動かし、お風呂にゆっくりつかって早めにふとんに入り、ドラえもんを読みながら睡眠リズムを取り戻したのでした。その後、僕は成長とともに、眠る瞬間いつごろから意識がなくなっていくのかを詳細に調べようと試みたり、夢日記をつけたりして夢と現実の間を行き来する一人旅を続けていくのでした。今でも眠るのが大好きでしょっちゅういろんな試みをして寝ています。さて今日はどんな夢を見るのか。
おやすみなさい。
(15:20分筆)
そんな僕ですが、実は一時期不眠症じゃないんだけど寝付けなくなった時があってちょっと苦しんだ時期がありました。小学校高学年くらいの時、夜ふとんに入ってから寝ないで考え事にふけるのがマイブームな時期があって(暗い…)でも当然眠いから不自然な体勢でいつの間にか眠ってしまって、朝になればありえないような寝違えりに苦しむ、でも晩はまたこりずに思索にふける、みたいな生活を送っていました。
子どものころから夜更かしの習慣がまったくなかったので、最初は10分持たずに眠ってしまったのが、日々の訓練(?)によってしだいに20分、30分と起きていられるようになり、しまいにはキャンディーとかふとんの中に持ち込んで夜のひと時をさらに堪能するようになり、いつしか逆に横になっても1時間くらい眠れない体になってしまいました。
当初はなんか大人気分で楽しんでいたのですが、一週間もするころには苦痛に耐えられなくなり、なんとか体を元に戻そう!ということであっさり降参しリハビリを開始しました。お風呂に長めに入ったり、あったかい飲み物を飲んだりしたんだけど、特訓でしみ込んだこの体質はなかなか改善されず、いよいよ困って母に助言を求めたところ、帰ってきた答えは「羊の数を数える」というおよそ20世紀末とは思えない非科学的戦法だったわけです。
でもなんか、そのあまりの胡散臭さぶりが佐藤少年に妙な納得を与え、その晩から今度はせっせせっせと羊を数えだしました。さて、長々書いていよいよ羊が登場しましたが、結論から言うと初日にして早くも佐藤牧場の羊は4桁を突破してしまい憤慨のあまりふとんを噛みながら煩悶呻吟。さらに苦痛の夜をすごしたわけです。
それでも3日くらい頑張ってみたのですが、どうにも羊のカウント中に眠ることができず、自分の行ったムダな努力にたいして憤慨し、一人ふとんの中で大騒ぎして疲れ果てて寝る、見たいな状態になり「羊を数えて今夜も眠ろう大作戦」は一週間もたたないうちにあっさり却下になったのでした。
この羊を数えるという睡眠法、知名度の割にはいまひとつ効果がないように思っていたんだけど、実はこれ英語圏から入ってきたおまじないらしく、羊の「シープ(Sheep)」と、睡眠の「スリープ(Sleep)」の言葉が、英語を母国語とする人にとって、眠りを連想させるというのがもともとなんだとか。そういえば日本に羊が入ってきたのは明治以降の話らしいし、今でもあんまり身近な存在とはいえない動物という気がする。なるほどなあ。そんなわけで「僕羊年生まれだし、羊を数えて寝ちゃうなんてちょっといいな…」なんて考えていた夢想少年の夢は破れ、地道に体を動かし、お風呂にゆっくりつかって早めにふとんに入り、ドラえもんを読みながら睡眠リズムを取り戻したのでした。その後、僕は成長とともに、眠る瞬間いつごろから意識がなくなっていくのかを詳細に調べようと試みたり、夢日記をつけたりして夢と現実の間を行き来する一人旅を続けていくのでした。今でも眠るのが大好きでしょっちゅういろんな試みをして寝ています。さて今日はどんな夢を見るのか。
おやすみなさい。
(15:20分筆)
NHK青春メッセージ
2005年1月10日この番組っていったいどれくらいメジャーな番組だったんだろう?毎年、将来の夢や希望を若き青年たちが熱く語る弁論大会形式の番組で、平成元年までは「青年の主張」と呼ばれていた番組です。
番組出場者には後の総理大臣になる海部俊樹や、猪口邦子なんかもいて、応募者も毎年5000人近くいたんだとか。結局、それが3分の1に減ってしまい今年から番組が取りやめになりました。
僕は個人的にこの番組が大好きで、毎年毎年ビデオにとっては、せっせと繰り返し見て楽しんでました。もう叫ばんばかりの人や、怒って大爆発寸前のこわばった顔で延々と自分のことを話す人、感極まって泣き出す人。最初見た時は、うわあって思ったけど、そのみんなのきらきら、ぎらぎらしてる感じがたまらなく好きでした。ああ、かっこいいなあ、いいなあって(笑)
弁論大会って好きです。声、言葉だけで人に訴えるという、その荒削りでシンプルなところが好きです。ちなみに僕自身はというと、中学校の弁論大会では毎回毎回心血をそそいで原稿を書き、壇上で熱っぽく発表しては毎年クラス予選で華麗に散っていきました。高校の時には英語の弁論大会に参加し、当日の朝になって発表タイトルを「my dream」から「a futer」に変更するという森より木を重視したこだわりによって全校三位に輝いた経歴があります。ともかく弁論大会が大好きでした。
ちなみにこの番組は、毎年第二部として(第一部が弁論)期待の若手ミュージシャンを登場させていたんだけど、僕がその後、大好きになるホフディランをはじめて見たのもその番組でした。そこで演奏された曲がどうしても聞きたくてセンター試験直前にもかかわらず大宮のNACK5に飛んでいったのを覚えています。その曲は「washington.C.D」に入っている「good!」という曲で、お気に入りのフレーズは「疲れたときはすぐ眠る」です。今でも疲れたときには小宮山雄飛先生の名言にしたがってすぐにふとんに入ることにしています。
個人的には、こんな熱い番組が年に一回くらい放送されてもいいんじゃないかなって思います。なんかフラットで、インスタントな番組が多いし、だからって「しゃべりば」はなんか恥ずかしくて最後まで見られないし(笑)。
いつか復活することを祈りつつ今夜はここまで。
おやすみなさい。
番組出場者には後の総理大臣になる海部俊樹や、猪口邦子なんかもいて、応募者も毎年5000人近くいたんだとか。結局、それが3分の1に減ってしまい今年から番組が取りやめになりました。
僕は個人的にこの番組が大好きで、毎年毎年ビデオにとっては、せっせと繰り返し見て楽しんでました。もう叫ばんばかりの人や、怒って大爆発寸前のこわばった顔で延々と自分のことを話す人、感極まって泣き出す人。最初見た時は、うわあって思ったけど、そのみんなのきらきら、ぎらぎらしてる感じがたまらなく好きでした。ああ、かっこいいなあ、いいなあって(笑)
弁論大会って好きです。声、言葉だけで人に訴えるという、その荒削りでシンプルなところが好きです。ちなみに僕自身はというと、中学校の弁論大会では毎回毎回心血をそそいで原稿を書き、壇上で熱っぽく発表しては毎年クラス予選で華麗に散っていきました。高校の時には英語の弁論大会に参加し、当日の朝になって発表タイトルを「my dream」から「a futer」に変更するという森より木を重視したこだわりによって全校三位に輝いた経歴があります。ともかく弁論大会が大好きでした。
ちなみにこの番組は、毎年第二部として(第一部が弁論)期待の若手ミュージシャンを登場させていたんだけど、僕がその後、大好きになるホフディランをはじめて見たのもその番組でした。そこで演奏された曲がどうしても聞きたくてセンター試験直前にもかかわらず大宮のNACK5に飛んでいったのを覚えています。その曲は「washington.C.D」に入っている「good!」という曲で、お気に入りのフレーズは「疲れたときはすぐ眠る」です。今でも疲れたときには小宮山雄飛先生の名言にしたがってすぐにふとんに入ることにしています。
個人的には、こんな熱い番組が年に一回くらい放送されてもいいんじゃないかなって思います。なんかフラットで、インスタントな番組が多いし、だからって「しゃべりば」はなんか恥ずかしくて最後まで見られないし(笑)。
いつか復活することを祈りつつ今夜はここまで。
おやすみなさい。